約 5,683,519 件
https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/62.html
シャイニング・ウィズダム 【しゃいにんぐ・うぃずだむ】 ジャンル アクションRPG 対応機種 セガサターン 発売元 セガ・エンタープライゼス 開発元 ソニック 発売日 1995年8月11日 定価 5,800円 判定 なし ポイント 蘇る連打ゲー シャイニングシリーズ 概要 ストーリー システム 評価点 問題点 総評 余談 概要 セガのRPGシャイニングシリーズ初期の作品。本作ではアクション要素の豊富な見下ろし型アクションRPGとなっている。 しかしレベルアップシステムが無く、強化アイテムの収集・装備アイテムの活用がメインなので『ゼルダの伝説』同様「アクションアドベンチャー」ととる事もできる。 『シャイニングフォースII』のキャラクターがゲストとして登場する。本作の物語中では割と重要なポジションにいるが、本作自体が外伝に近い扱いなので作品との関連性は殆ど無い。 開発元のソニックは、セガ内における制作チーム(ソニックチーム、当時の第8AM研究開発部の通称)とは別。初期シャイニングシリーズの開発を行っていた会社(後にスタッフがほぼ同じである兄弟会社のキャメロットと合流)である。 この頃に外国からのスタッフが参入しており、社内の3DCG技術が向上。本作も絶世の「3Dゲームブーム」だったのでそれに肖ってキャラクターは3DCGで描かれている。 なお、本作はサターン初期のRPGラインナップ強化のプロジェクト『ロープレ 王国 (キングダム)』の3本のうちの1つとして発売されており(同プロジェクトで他に発売されたRPGは『魔法騎士レイアース』『リグロードサーガ』がある)、本作はプロジェクトの中核を担うソフトとして位置づけられていた(*1)。 ストーリー (説明書6ページより引用) パルメキア大陸の東に位置する、オデガン王国。豊かな自然に満ちあふれる、この国に、ひとつの言い伝えがあった。4つの精霊の力が伝説の巨人を蘇らす時、世界は闇に飲み込まれるであろう…。4つの精霊と伝説の巨人。この言い伝えが、何を意味するのか、今となっては知る者すらいなかった。ここに一人の若者がいた。マルスというこの若者は、幼きときから武芸の修行を続け、今日、はれてオデガン城の兵士となることを許されたのだった。かつて、平和な国オデガンに、邪悪なドラゴンが出現したとき、ひとり剣を持って立ち向かっていった英雄ジャイルズ。彼の一人息子のマルスは、父の死後、祖父と祖母に育てられ、先祖代々伝わる"加速の術"を身につけた。祖父の激励を受け、城へと向かうマルス。その行く手には、いったい何が待ち受けているのだろうか? システム 基本操作 シンプルな見下ろし型アクションゲーム。メニュー画面で武器や魔法等、道中で手に入れたアイテムをセットし、対応ボタンを押す事で使用可能。なお、ボタンごとにセット出来るカテゴリがあり、その内約は以下の通り。 Aボタンは薬草や天使の羽(ダンジョン脱出)といった「アイテム」が該当する。セットした状態でAボタンを押せば予備動作なしで回復や瞬間移動が可能なほか、特定の扉を開ける鍵もこのボタンが担当する。 Bボタンは「オーブ」をセット出来る。魔法を使うための4種のオーブをセットして加速(後述)した上でCボタンを押せば、オーブの属性に対応した魔法が発動する。他にもセットするだけで何らかの効果をもたらす特殊なオーブ(こちらは全て隠しアイテム)も存在する。 Cボタンで扱うのは剣・靴・グローブといった「装備」。セットした状態でCボタンを押すと、装備に応じたアクションが使用できる。その種類は剣による斬撃といった攻撃動作から、特定の靴を履くと使用できるジャンプなど謎解き専用のものまでさまざま。 加速の術 冒頭で主人公が祖父から教えてもらえる特技で、本作のもっとも特徴的なシステムとなる。Bボタン(*2)を連打する事で移動速度が上昇。加速する事で様々なアクションが強化され、魔法も使えるようになる。 ライフゲージの下にある加速ゲージ(最大値は基本的に4だが、セットする装備によっては3や5になる)が3以上になると体当たりが可能になり、そのまま敵にぶつかればダメージを与えられるが、当たり方によっては自分もダメージを負う。 オーブをセットした状態で加速ゲージを4(組み合わせる武器によっては5)にしてCボタンを押すと、オーブの種類に応じた魔法が発動する。例外として、初期装備の剣などはオーブと組み合わせても魔法が発動しない。 加速ゲージの値はBボタンを押しっぱなしにする事でホールドが可能。ダメージを食らっても固定は解除されないが、ゲージの値が強制的に2減らされる。また、連射パッドは有効。 特定の装備をセットして加速の術を用いると、Cボタンで装備を使った時の効果が変化する。装備のみならず、加速ゲージが4か5かで魔法の威力や範囲も変化する。装備によっては「装備のアクションを使う」「オーブと組み合わせて魔法を使う」事で、加速ゲージがリセットされるものがある。 さらに特定の装備をセットして魔法を使うと、その武器専用の魔法が発動する。単純に攻撃手段として有用なもののほか、攻略に必要な組み合わせもあるが、ただ攻略が「楽になる」程度の物も。 これらの装備と魔法を駆使し、謎解きと戦闘をこなして行く。 強化要素 本作では経験値の類はなく、主人公の攻撃力は武器や魔法に完全に依存している。一方で最大HPは、フィールドやダンジョンに隠された「ライフの器」を集める事で上昇していく。 また、ライフの器の色違いとなる「ライフストック」というアイテムも存在し、HPが最大の状態で体力回復アイテムを拾うとストックに蓄積され、HPがゼロになった時に自動でライフストック分のHPが回復した状態で復活する。 別作品で例えるなら、「任意で使用できないロックマンXシリーズのサブタンク」「『スーパーメトロイド』のリザーブタンク(オートモード)」と言えば分かり易いか。 評価点 多彩なアクション 本作では、基本的な近接武器である剣(進行に伴い3種類手に入る)のほかに、離れたスイッチの起動やアイテム回収も出来る中距離武器「マジックハンド」、攻撃判定を持つスライディングを繰り出す「スリップシューズ」、爆弾を始めとする重量物を持ち運ぶ「パワーグラブ」など、様々な装備品を扱う事が出来る。 上記の通り一部の武器はオーブと組み合わせれば、それぞれの武器の特色を活かした専用魔法が発動する。武器未装備or一部武器装備時で発動する汎用魔法も含めれば、アクションの幅は非常に幅広い。特に「スリップシューズ+フリーズオーブ」で発動する高速長距離スライディングには、主に移動面でお世話になったプレイヤーも多いのではないだろうか。 ただし、アクションが多彩な反面、ダンジョンの謎解きにおいては一筋縄ではいかない場面が見受けられる。決して理不尽なレベルとは言い難いが、後述の連打重視仕様もありプレイヤーへの負担は決して小さくはないのが難点である。 BGM 2作目やゲームギア外伝3作を手掛けた武内基朗氏が本作でも作曲を担当しているが、そのクオリティは高い。 ダンジョンにおいては神秘的なものや暗い雰囲気のものが揃う一方で、ボス戦やフィールドのBGMでは電子オルガンを使ったプログレッシブかつハイテンポな曲調にしてあり、非常にテンションが上がる仕上がりとなっている。特に川を挟んで西側のフィールドのそれは「本当にフィールドBGMか」とツッコみたくなること請け合いである。 キャラデザ 他のシャイニングシリーズにも参加している梶山弘氏(現:梶山浩)の作画は、時代を感じさせる絵柄であるが総じて出来が良い。 眼が大きく強調された女性陣、かなり濃い顔のオッサン達やラスボス配下など、人によって好みの分かれる画風ではあるが、会話シーンで表示される顔絵には瞬き・口パクのアニメーションが付いているなど芸の細かさが光る。 問題点 3Dありきのゲーム内グラフィック この頃ゲーム業界全体が「何が何でも3D」という風潮にあったため、膨大な量の3Dゲームに埋没している印象は拭えない。 パッケージを飾る主人公と姫の2ショットでもわかる梶山氏の画風とは裏腹に、ゲームで実際に動く3Dキャラクターはほぼ全員が2~3頭身程度のメルヘンチックな仕上がりに。 更に言えば、パッケージでは主人公は割合カッコイイ兜をかぶっているのだが、作中に同じデザインの兜は一切出てこない。一応「ペガサスヘルム」という兜が存在するがその見た目はカワイイ寄り。 本編が始まる直前を描いたOPデモも、そんなクオリティの3Dキャラクター達で進行するのだが、台詞はおろか状況を説明するテキストもなく動きだけで表現されている事もあり、緊張感の欠片もない。 ラスボスも当然OPデモとほぼ同じグラの頭身を相手にするのだが、バリアを展開しつつホバー移動で高速突進する際になぜか手足をバタバタさせるその挙動が純粋に見苦しい。ジッとさせていればもう少し様になっていたと思うのだが…。 タイトル画面も主人公・姫・ラスボス一味・猿が集合写真の様に並んでいるという何とも言えない構図。素直にパッケージと同じイラストを採用すれば良かったのではないだろうか? 一部アイテムのデザイン ファンタジーな世界観でありながら柔道スーツ(*3)にモンキースーツ、果ては自動車という世界観を完全に無視するアイテムが手に入る。 オマケに自動車に乗ったまま実家に帰るとレースゲームが出来る様になる(その名も「どいてなUSO」。元ネタはタイトルから何となく察しがつくであろう)。これってRPGだよね? 柔道や自動車は隠しアイテムなのでまだ許容できるとしても、モンキースーツは本編中で必ず入手する攻略必須のアイテムな上に、装備すると猿の鳴き声と共に猿の姿へモーフィングし、かなり吞気な曲調の専用BGMに切り替わるという、シリアスさの欠片もない演出に入る。 前述したタイトル画面の説明でも軽く触れているが、本作では異様なまでの猿推しがされている。その理由としては、当時のセガサターンのCMキャラクターだった『セガール&アンソニー』がモデルではないかと言われている。実際、本作のCMではモンキースーツを着るシーンを使っており、セガールを意識している可能性は高い。 連打ゲー スムーズに移動するにも魔法を使うにもまず連打で加速する必要があるという、連打ありきのゲームシステムとなっている。 一応説明書にも加速ゲージの固定は書いてあるのだが、ゲーム中ではその説明が無い。改善出来ないかと設定画面を見て気付く可能性はあるだろうが、読まないor調べない人には超絶連打ゲー。 アクションを起こす・ダメージを食らうなど、何かある度にゲージが減速orキャンセルされるため、ゲージ固定を知ってる人でもやっぱり連打しないといけない。連打自体はそれほど速くなくても支障はないのだが、楽しむためには連射機能付きパッドが必要になるかもしれない。 謎解きにおいては、加速ゲージを上げたうえでの武器のアクションや魔法が必要となるケースが多く、謎解きに行き詰まるほど指への疲労は蓄積する。ボス戦に至っては(オーブが手に入って以降は)魔法の連発がほぼ前提となるため、ボス攻略にはBボタン連打を何度も繰り返す事が必須となる。無論、ゲージ固定を知らない人には相当な苦行になるのは言うまでもない。 X,Y,ZボタンがBボタンと同様加速ボタンに対応しているので、3本指で流れるように押すだけで一瞬でゲージを溜めることができる。これに気付けるかどうかが負担が全く違ってくる。 メニュー画面を開くと、フィールドにある隠し階段が見えるようになる。 本来は樹木や茂みが塞いでいて見えないのだが、セガサターンの半透明処理の関係でメニュー画面の背景越しに見えてしまう。一応、ウィンドウの設定をいじる事で見えなくすることは可能である。 総評 説明書を読むか読まないかでクソゲー/良ゲーが分かれるのは多くのゲームが身をもって証明している。これもその類であるが、パッケージと実機のキャラグラに大きな差があるので、ゲーム性とは別の面でもハードルの高さは否めない。更に生産数が多く、セガサターンワゴン/セガサターンジャンクソフト(動作保証無し)の常連となっているあたりが、この作品の評価を更に下げている。 だが、決して理不尽な難易度だったりゲーム内容がつまらない訳ではない。ワゴン/ジャンクで格安で手に入るのも考えようによっては評価点なので、セガサターンが健在で指の強度腕に覚えがあるなら遊んでみるのも良いだろう。 余談 本作のストーリーは「新任兵士が常人よりも魔法の耐性が優れていた為、災いの巨人復活をもくろむダークエルフ一味を相手に英雄的活躍をして行く」というものなのだが、エンディングで生死不明の状態に陥った際の同僚や国王たちの反応がかなりひどい。(*4) 「実は他の先輩兵士達から疎まれ妬まれていた」「その先輩たちは仲間のエルフを(こちらがラスボスを倒したと勘違いして)称賛しつつ主人公をボロクソ言う」「王や大臣、父の親友である隊長ですらエルフに指摘されるまで彼の身の安否を心配しない」という怒涛の展開を迎える。周囲の反応がそんな有様である中、姫だけは真っ先に主人公の安否を気遣ってくれることだけが救いだが。 より正確に書くと、「巨人封印の報を聞いて、主人公の安否を知る前にその場を離れて周囲に伝えに行く」と事情を考えると致し方ない反応を見せる者や、「主人公の今までの任務失敗(*5)に不安を覚えていた事を打ち明け、エルフから主人公の功績と安否を直接聞かされ言葉を失う」と良心を覗かせた者もいる。王や隊長も主人公の安否を気に掛けなかった自身を恥じるなど、フォローと言える描写は存在する。 が、謁見の間の前に控える兵士2人はどうあがいても擁護不可能。「(エルフの手柄だと聞いて)ムネがスーッとした」「主人公は新米のくせに自分達よりも出世して付け上がってる」などとのたまうだけならまだしも、「こんな奴らのために散った」と悔しさをにじませるエルフを見送りながら「えばりやがって!だからエルフは嫌いなんだ」「ここは我慢だ。どうせエルフは帰るし主人公も死んだんだしな」と、無駄口を叩きながら笑い合うというクズっぷりを披露する。 主人公は、ゲームの序盤で出会ったグドーの谷の妖精(*6)の力により一命を取り留めるが、主人公は周囲からの仕打ちに応えるかのごとく自分が助けた姫との生活を早々に終わらせ、一人何処とも知れぬ迷宮に幽閉されている妖精(*7)を助けるためあての無い旅に出るという、オープニングからは想像できない結末を迎える。 ただし、本作よりも未来の時系列である『III』のメニュー画面では彼女と全く同じ容姿の妖精「アクーユ」が登場する。本作の妖精はデータ選択画面で「イシャハ・カット」という精霊と面識がある事を話すが、『3』のアクーユと共にメニュー画面にいる老人がそのイシャハ・カットであるなど、容姿以外の共通点もある。もしアクーユが本作の妖精と同一人物ならば、主人公の目的は達成出来たことになり、それは一応の救いと言えるだろう。 なお、本作発売後にPSから『ビヨンド・ザ・ビヨンド 遙かなるカナーンへ』が発売されている。当時はソニックの関連会社であったキャメロットが開発していたため、システム面で本作と共通点が多い。 ログアウト冒険文庫から小説版が発行されている。 ストーリーは駆け足気味だがゲームに忠実。ゲームでは無言だった主人公(マルス)が喋るようになっているほか、「加速の術」は「飛走脚」に改変されている。
https://w.atwiki.jp/magicman/pages/2477.html
蒼神龍ワールド・オブ・ウィズダム VR 水文明 (8) クリーチャー:ポセイディア・ドラゴン 11000 ミステリアス・ソウル ■このクリーチャーをバトルゾーンに出した時、各プレイヤーは、自身の手札と墓地にあるカードをすべて山札に加えてシャッフルする。 ■各プレイヤーのターン、そのプレイヤーがそのターンではじめてカードを引く時、かわりに、そのプレイヤーの山札の上から3枚を表向きにする。そのプレイヤーは、その中からカードを1枚選び、コストを支払わずに使用してもよい。その後、残りのカードを持ち主の墓地に置く。 ■W・ブレイカー 作者:ぐりぐら 備考:コストを+1する必要があるかも? フレーバーテキスト 収録 DMGG-01「エピソード1 トリニティ・ワールド」 評価 二つ目の能力で使用できるカードの縛りを排除。 -- ぐりぐら (2011-09-26 02 29 28) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kuroneko_wiz/pages/167.html
▼こちらのボタンをクリックすればランク別ページへ移動します html2 plugin Error このプラグインで利用できない命令または文字列が入っています。 赤のウィズドロイド 赤のウィズドロイド 赤のウィズドロイド ランク A レベル 1 10 最大Lv50 Aスキル ネオドロイドライブ 進化素材 - - コスト 20 HP 356 - 712 Sスキル サーチエンジン - - 属性 火 攻撃力 358 - 717 進化費用 - - - 進化元 ヒドロイド・マジック 売却価格 30000 - - データ編集 進化先 - 備考 - 出現クエスト・入手方法 進化合成 コメント コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/21934.html
うぃず・ゆー【登録タグ InterLude う 初音ミク 曲】 作詞:saku(InterLude) 作曲:saku(InterLude) 編曲:saku・比奈(InterLude) 唄:初音ミク 曲紹介 「一緒に。」 比奈氏 と saku氏 によるユニット InterLude の4作目。 ギターの人の作曲は初投稿です。やたらベースが動きまわる曲になりました。(作者コメ転載) PVは 桜木蓮氏 が手掛ける。 歌詞 手と手が触れ合う その瞬間にほら 重なった 感じる想い そこから始まる物語 遠回りしたって良いよ 少しずつ進めばいい 明日は会えるよね「約束だよ」 何をすれば良いか考えなきゃ! 君がいれば 君といれば どんな世界も生きて行けるよ 不安になる心も癒してくれた その優しさで 繋がってゆく心 小さな小さな奇跡 いつまでも一緒に ずっと・・・ 君は今何処で何をしてるのかなんて そればかり あれもこれも全部君のせいで いっぱいだよ 会えない時間も全て 君のこと考えてる 難しく考えても始まらない 今必要なものは一つだけ! 伝えたいのに 伝わらなくちゃ どんな言葉も意味を無くすから 素直になる事を教えてくれた君に 届けたいこの歌を 君がいれば 君といれば どんな世界も生きて行けるよ 不安になる心も癒してくれた その優しさで 繋がってゆく心 小さな小さな奇跡 いつまで一緒に これから続く未来も ずっと・・・ コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/ouga/pages/914.html
『プラトニック・ラブ 《ぷらとにっく・らぶ》 』(15~16歳) スタンド名-カム・ウィズ・ミー 生年月日不明 女性 血液型不明 身長160cm以下 外見 ─ 「容姿端麗」らしい。 略歴 ─ 私立オウガーストリート学園高等部に在籍。クラスは一年B組出席番号34番。 成績優秀容姿端麗運動抜群で知られるオウガー学園の才女らしい。 生徒会の備品。会長の奴隷を勤める。 所属のきっかけはいろいろあって会長の『無能』の所為で能力が解除されているような解除されていないような状態になり、 『産まれて』初めて見た椥辻無人に刷り込まれている。信仰に近い恋を抱いている。 会長の『180年間の恋奴隷』らしい。 性格 ─ 不明。椥辻無人の行動を見て、動物が親を真似るように真似をする。 「靴を舐めろと教えれば舐めるし○○を食えと教えれば食う」らしい。 好きな映画 ─ 不明。多分椥辻無人のと同じ。 好きな音楽 ─ 不明。多分椥辻無人のと同じ。 好きな食べ物 ─ 不明。多分椥辻無人のと同じ。 嫌いなもの ─ 不明。多分椥辻無人が嫌悪感を示したもの。 スタンド能力 『カム・ウィズ・ミー』 本体が親から捨てられた『コインロッカー』と同化して発現しているスタンド。 本体が外で『死ぬ』と『コインロッカー』から『産まれてくる』能力。 産まれた時、死ぬ前の記憶は『前世』の記憶程度までしか残らない。 『カム・ウィズ・ミー』 破壊力:なし スピード:なし 射程距離:なし 持久力:∞ 精密動作性:なし 成長性:なし 現在プラトニック・ラブは『スリーピー・ホロウ』によって外から出されたことで 『外にいるのにコインロッカーの中にいる時と変わらない』という不思議な状態になっている。 殺されてもロッカーを破壊しても何をしても『死んだ』時点でその場で『産まれて』再生する。 現在はロッカーから連れ出されて『産まれて』初めて見た椥辻無人に刷り込まれている状態。 靴を舐めろと教えれば舐めるし○○を食えと教えれば食う。 ただし『教える』方法は椥辻無人の『実践』のみ。 椥辻無人の行動を見て、動物が親を真似るように真似をする。 死なないエキストラのメイドとして役立ててやってくれ、要らなきゃ『廃棄』してもいい。 ※椥辻無人が彼女の教科書になるわけだが『スリーピー・ホロウ』の影響にはならないようなのでこれで。
https://w.atwiki.jp/kotachi/pages/33.html
これまでのあらすじ 魔法使いの訓練生として港町トルリッカへやってきた「君」は、「四聖賢」の称号を持つ大魔道士ウィズの弟子となる。 ウィズと共に訓練を行っていた「君」は、ある日「零世界」から呼び起こされた魔龍と遭遇する。 魔龍の強大な力に圧倒される「君」とウィズ。かろうじて魔龍を退けるが、ウィズは反動で猫の姿になってしまう。 平和な港町に突如出現した魔龍と「零世界」。人としての姿と魔力を失ってしまった「四聖賢」—— 「君」は零世界の謎を解き明かしウィズの元の姿を取り戻すため、修行と冒険の旅に出る。 王宮を中心とした華やかな都・ウィリトナで、「君」はギルドマスターのアレクと出会う。 アレクは、「君」にいくつかの依頼をする。広大な砂漠の調査、異国の商人との取引……一見なんの意味があるのか「君」とウィズにはわからない。 王都での生活にも慣れてきた頃、アレクは「君」を天体観測へと誘う。 その日は「混沌の夜」、魔法使いの詠唱なしに叡智の扉が開かれる日。依頼は全て観測のための準備だった。 神秘的な光景を前に、アレクは自分や「君」が異界からの旅人であることを告げる。 「君」がその自覚を持つことに、きっと何か大きな意味があるはずだと…… 王国北方の森の村・ラリドンで「君」はギルドマスター・ロレッタと出会う。 依頼をこなし信頼を得た「君」は、ロレッタが「神託の指輪」の護り手であることを知る。 「神託の指輪」——大森林の最深部、聖域に封じられた強大な魔力を持つ魔道具。 代々の巫女により護られてきた封印はしかし、魔道士ギルド・中央本部より遣わされた魔道士の手により解かれてしまう。 中央本部の魔道士が「アナスタシア」の配下と察したウィズと「君」は、指輪を取り戻そうとする。 魔道士は指輪の力を解き放ち「君」たちと戦うが、異界より現れた腐龍に肉体を喰われ、逝く。 幾度倒そうとも蘇る腐龍に「君」たちは苦戦する。 しかし、巫女の力を解放したロレッタの光が腐龍を滅ぼし、大森林は平穏を取り戻す。 戦いで力を使い果たしたロレッタは、「神託の指輪」——スマラグドを「君」に託す。 中央本部の動きに不信感を抱いたウィズと「君」は、水の都アイヴィアスに住む魔道士「ルシェ」へ会いにいくことにする。 ——そして、物語は大きく動き出す…… 王国随一の保養地、静かなる湖畔の都アイヴィアス。 「君」とウィズは水都を治めるワダツミ家の次期当主にしてギルドのマスターを務めるルシェと出会い、中央本部の動きを探る。 あるとき、ギルドの依頼により失踪した「ゲルニカ」の兄妹——兄・シオンと妹・リアナを捜索する。 「ゲルニカ」は13年前、魔道都市サイオーンで禁忌の魔道に手を染め、魔道士ギルドに粛清された異民族だ。 捜索の末、「君」は水龍に化けていた使用人の一人、「リアナ」を発見する。 彼女が化けていた水龍は、ルシェの——ワダツミ家の真名の力だ。 「真名」は、存在を世界に定義付ける正しき答え。 ワダツミの真名が何故、リアナに? 疑念の晴れない中、捜索中のもう一人のゲルニカ・シオンがラリドンで神託の指輪を狙っていた四聖賢・アナスタシアの一派であることがわかる。 リアナは兄・シオンを救って欲しい、と「君」に頼む。 兄妹は13年前の事件で肉親を粛清されている。 シオンは魔道士ギルドへの復讐を誓っていたが、リアナは戦いを望まなかった。 リアナからの情報により、湖畔のコテージに潜んでいたシオンを捕らえることに成功する。 尋問の結果、シオンが禁術「真名転成」を操る魔道士であることがわかる。 リアナは彼の「真名転成」によって本来の真名を捨て、ワダツミの真名を得ていたのだ。 しかし、シオンは警備の目をかい潜り脱走してしまう。 数日の後、シオンはルシェを襲撃し、アイヴィアスの湖底に眠る水龍の祠の封印を解く。 水龍の祠には、ワダツミ家の真の力が封じられた神託の指輪【サフィラス】がある。 【サフィラス】の力を解き放ち、真なる水龍の真名を宿したシオン。 死闘の末にシオンを倒し【サフィラス】を取り戻した「君」だったが、リアナの裏切りによって【サフィラス】とラリドンで手に入れた【スマラグド】を奪われてしまう。 リアナの目的は復讐ではなく、神託の指輪を奪うことにあったのだ。 リアナの背後に四聖賢・アナスタシアの影を感じた「君」とウィズは、彼女が潜伏しているという南方のサイオーンを目指すことにする。 ラリドンの【スマラグド】、アイヴィアスの【サフィラス】。 強大な力を持つ二つの<神託の指輪>と指輪を奪っていったゲルニカの少女リアナを追い、君とウィズは魔法学術都市・サイオーンへと足を踏み入れる。 君はギルドマスター・ドゥーガの力を借りながら、指輪と少女の行方を追う。 あるとき、サイオーンの要である魔道塔(グノスタワー)の最高責任者が何者かに拉致される。犯人が黒教旅団であると踏んだドゥーガは、君とウィズに旅団の調査を依頼する。 黒教旅団は13年前、サイオーン周辺の施設で禁術「真名転成」の研究を行っていた組織。 君たちは各研究施設をまわると、ついに旅団のアジトを見つけ出す。 君とウィズは、ドゥーガや魔道士ギルドの部隊と共に、黒教旅団のアジトへと突入する。黒教旅団を仕切っていたのは指輪を奪っていたあの少女――リアナの一派だ。 激戦の末、ついに拉致されていたルナールを見つけ出す。しかしルナールは「罪は、償われなければならない」と言い残すと、君やドゥーガの救出を断りリアナたちと共に姿を消す。 異変は、数日後の深夜に起こる。グノスタワーが「起動」すると同時にサイオーンの街に魔物が大量発生し、無差別に人々を襲撃したのだ。 異変の原因を突き止めるため、君は魔物のはびこるグノスタワーへと突入する。奥ではリアナと黒教旅団、そしてルナールが待ち構えている。 リアナの目的は、グノスタワーの機能を<神託の指輪>によって解放し、ありあまる魔力をもって「真名転成」を行うことにあった。 ルナールは13年前の事件――多くのゲルニカが命を失った――の贖罪として、ゲルニカの血を引くリアナに加担していたのだ。 「真名転成」は成功する。異界へと繋がる巨大な<叡智の扉>が開き、リアナは異形の龍へと姿を変える。 君はかろうじてリアナを倒すが、開かれた<扉>はその場へと残り続ける。 戦いの終わった空間に、四聖賢・アナスタシアが姿を見せる。 影でリアナを手引きしていた彼女の目的は、<叡智の扉>を開き、先に広がる<零世界>を手に入れること。 君とウィズは零世界へと消えていったアナスタシアを追い、<叡智の扉>の向こう側へと踏み入る。 存在を保つことすら難しいその世界で、君はアナスタシアとの決戦に挑む。 四聖賢――師匠・ウィズと同じ階級を持つ強敵を相手に、君は辛くも勝利を収める。 しかし<神託の指輪>の魔力を操るアナスタシアはすぐに力を回復し、君は絶体絶命の窮地に追い込まれる。 君は死を覚悟したが、そのとき――! * * * 戦いを終え、君とウィズは零世界からクエス=アリエスへと帰還する。 サイオーンでの活躍を伝え聞いたのか、魔道士ギルド・中央本部は君へ招集令状を発する。 ところが君は書状を破り捨て、一介の魔法使いとして生きる道を選択する。 そして――一人と一匹の旅は、まだ、続く。
https://w.atwiki.jp/newsop/pages/520.html
タイトルロゴ カラーリング: タイトルロゴの「三重テレビ」はホームページでは正式ロゴ、オープニング・エンディングではゴシック体で表記される。 オープニング 2015年4月1日 - 現在 備考
https://w.atwiki.jp/bokumaka/pages/966.html
デュラハン・ウィズ・コシュタ・バワー・DHからTHへの進化要求経験値は1,353,360です。 - 2013-12-28 23 19 15
https://w.atwiki.jp/hide_history/pages/13.html
待たせたぬぁ! ̫ 勢いに乗ってたっくさん書いちゃったのりゃ^っ ̫ ^ 是非楽しんでぬぇ! 第2章 ゲームウィズ立憲君主制1.ゲームウィズと人々†主権無き「国家」 †政治家と活動家 †害悪への対応問題 †安定を欠く政治権力 †主要人物群像 †2世 †シノン †マキイフカ †れたん †れたん関係の記述について 2.建国期の試練†みん作からの管理人選出要求 †第一回自治領選挙 †破綻した選挙の裏で †2世政権と8月8日憲法 †「政治は最低限に」 †みん作憲法の与えた自治権 †自由党事件 †聞き分けの無い自治領民たち †みん作レジームと対みん作政策の固定化 3.動乱、新政権、そしてリージョナリズム†椿ゲート事件の見方 †みん作の政権内クーデタ †「事件終結」 †8月15日 - 「陰謀論」の拡散 †発言を真に受けたシノン †2世の「やれるものなら…」 †8月16日 - シノンの賊軍政府 †絶望的な門出 †台頭する活動家たち †れみーのフェードアウト †鎮静化の失敗とマキイフカの危険なゲーム †必然だったリージョナリズム高揚 †危険な政治の二分化 4.革命の前半戦・あるいはゲームウィズ内戦†れたんに利用されるBot †19日の緘口令が与えた衝撃 †行動を躊躇する活動家 †ゲームウィズの「ゲバラとカストロ」 †午前10時 - ワロターの攻勢 †午前10時半 - シノン政権側の対応 †午前11時 - 革新党と救済党 †正午 - 内戦終結 †和平合意の流産 †無責任な内戦 †デウス・エクス・マキナに踊らされる人々 †掲示板史に呑まれたれたん †政治的優位を失うみん作 †逆転 †第二章のまとめ 第2章 ゲームウィズ立憲君主制 (自治領旗) ゲームウィズ自治領は、主に次の四つの政治形態に区分される。 ①8月7日~8月22日までの立憲君主制 ②8月23日~10月1日までの共和制 ③10月2日~10月16日までの無政府制 ④10月17日~11月30日までの管理人=公安委員会制 四か月足らずの間に四度も体制が変動している(しかもこれは「体制」の話で、人事の移動はさらに激しい)ことは、ゲームウィズ自治領では政治的な変動が絶えなかったということだ。この激しい移り変わりからわかることは、ゲームウィズ民が最良の体制を暗中模索したこと、そしてそれは結局どれもうまくいかなかったということだろう。これは当然のことだ。何故ならゲームウィズ民の中で誰も政治の手ほどきを受けたことのある者などいなかったのだから。しかし彼らはそれでも努力せざるを得なかった。 中島敦の短編小説『山月記』には、次のような一節がある。「理由も分からずに押し付けられたものをおとなしく受け取って、理由も分からずに生きてゆくのが、我々生き物のさだめだ。」私はゲームウィズ自治領の政治はまさにこの言葉に集約されていると感じる。押し付けられたものは政治で、ゲームウィズ民はそれをわけもわからず回し続けた。 今回見ていく①の立憲君主制は、特にそういった側面が強かった。(それが意図的なものであれ偶然のものであれ)みん作からの押し付けは甚だしく、その中には決定的な事件も含まれていた。しかし不思議なことに、立憲君主制が終わるころには自治領はみん作を事実上逆転していた。なぜこのような奇妙なことが起きたのであろうか。そして、この時代がゲームウィズ自治領の崩壊にどのように影響を与えたのであろうか。第2章ではこれらを探ることを目標とする。 1.ゲームウィズと人々 自治領立憲君主制の話へ入っていく前に、ここでゲームウィズという土地や政治についての理解と、立憲君主制期に活躍した人々について簡単な整理をしておく必要がある。これからの文章は土地の特質や、人々の人柄・背景を多分に前提知識として含んだ文章になるし、またいくつかの議論を巻き起こす問題についての記述の定義も説明/弁明しておく必要がある。そのため、読者の方々に於かれては申し訳ないがお付き合いを願いたい。 †主権無き「国家」 結論から言ってしまうと、ゲームウィズ自治領という土地の特質はこれにつきる。それは、みん作のようにゲームウィズ自治領が国家になり得るかというのを評価した時、対比の文脈で決定的に足りないものがあるということだ。「主権」である。 これはみん作のように「国家の三要素」に合わせた判断である。ゲームウィズ自治領は「国民」は当然いるし、「領土」もある。この点においてはみん作と全く同じだ。(それどころか領土という点では落ちないためより優れている)しかし「主権」だけは保障されていない。 この主権の無保障というのは、ゲームウィズ自治領がみん作の下にある自治領に過ぎないからという意味で言っているのではない。後で説明するが実はみん作は「あからさまには」自治領の主権を侵害しなかったし、与えられた自治権というのはかなり大きなものだった。そうではなくて、ここではゲームウィズ民とサイト運営の関係についてだ。みん作のサイト運営が非常に怠惰で人々に無限の主権を謳歌させた一方で、ゲームウィズのサイト運営はかなり勤勉なものだ。投稿の通報があれば詳細が不透明のプロセスを通じてその大抵は消去してしまうし、画像の不適切判定は率直に言って意味不明な代物だ。更にそれを繰り返せば書き込み制限である。この冷淡な運営の下ではゲームウィズ民は主権を持てないだろう。いくら自治領だ立憲君主だと言ってもだ。 しかしみん作とDuke of Yorkはそんなことはお構いなしにゲームウィズ自治領に国家であることを求める。よって三つの必須条件のうち、一つを欠いた状態で自治領の政治は展開されていくことになる。そしてそれはこれから書いていく自治領政治の特徴を生んでいった。 †政治家と活動家 ゲームウィズ自治領の持つみん作との大きな相違点は、政治と民衆の距離が極めて近いことだ。主権のあるみん作においては管理人はシステム上絶対的な権力を持って治安維持や法整備に務めたが、主権の無いゲームウィズでは政治の肩書を得ようとログインをしようと結局のところ一般ユーザーだ。また、ゲームウィズはページ作成機能がなく、スレッド一本ですべてが展開するため、どれだけ専門的な政治談議も衆人環視の中行う必要がある。よって、必然的に民衆は政治により曝され、政治家と民衆の間の壁も薄くなる。 結果、みん作には見られないタイプの人々が現れた。彼らは自治領政府に関して何の役職にも就いていないが、政治の話に対して発言力を持つ。そしてしばしば自治領の意思決定に影響を与える。さらには自治領政府の黙認の下行動を起こすこともある。ここでは彼らのことを「活動家」と呼ぼう。 活動家は本質的にマージナルな存在だ。政治家と民衆の中間的存在である。これまで全く存在しなかった概念だが、私は自治領史を考えるうえで彼らを非常に重視している。自治領の政治は文字通り重層的なものであったからだ。活動家の行動のパターンは主に二つに分けられ、一つは自治領政府の方針に追従した活動、もう一つはそれに従わないか、またはそれを先取りした活動だ。前者はともかくとして、後者の場合事態はしばしば私刑に発展する。また、活動家が政治へ進出するためのパフォーマンスとしても用いられた。 管理人や公安委員会、みん作の介入はしばしば自治領史を語る際に重視されてきたが、実際政治的な潮流の大半はそれらを重視するだけでは説明できない。何故なら、それらは全て活動家の関与という側面を持っているからである。だから活動家の存在は大きい。 立憲君主制期は活動家の出現の時代であった。そしてその背景には、立憲君主制と掲示板が直面した危機があった。活動家とはゲームウィズ民の焦りの表れなのだ。彼らが登場するさまをぜひ注目していただきたい。 †害悪への対応問題 これは自治領だけでなく復興世代のようなゲームウィズを本拠とした全ての集団に言えることなのだが、害悪へ実質的な対応が出来ない。理由はもちろん主権がないからだ。当然政府の都合で書き込み停止などできるわけがない。 こうなると政府は様々な対策を考え出す。実例はのちに嫌というほど出てくるのだが、例えば無視、徹底的な弾圧、公職追放などだ。しかしこういった処置もまた実効性はないし、しかも無視に至っては政府だけでどうこうできる問題ではない。民衆や活動家の協力が必要だ。そうすると無駄にコストがかかるのだが、それでも必ずしも無視が維持されるとは限らない。よって、政府主導の害悪対抗策はことごとく失敗した。 もちろん重層的政治構造を持つ自治領では、害悪対処は政府のみの仕事にとどまらない。活動家も個々に対処行動を起こす。選挙で公選されている政治家とは違って、活動家は基本自由な存在であるため、それほど今後のことを考えなくてもよい。よって彼らの活動はしばしば過激になり、原住民世代以降の過激派への萎縮的な態度も相まって害悪本人以上にさらに大きな問題を誘発する。立憲君主制時代のマキイフカ、共和政時代の執事などがいい例だ。しかしこうしても害悪を排除できるわけではなく、結果長期戦にならざるを得ない。 ここまで来ると最終手段はみん作の介入ということになるのだが、当たり前ながら実質的な措置は行えない。行えるのはせいぜい社会的制裁で、それは自治領政府や活動家のやっていることと寸分たりとも違わないことだ。唯一他に比べて強いのは立場だが、害悪というのは基本的にみん作の権威を受け入れないため、効果のある標的は専ら権威を受け入れている害悪、例えば「やりすぎた活動家」や「無能な政治家」になる。それでは前者の害悪に全く対処ができない。 もっともその「害悪」さえいなければこんなことは考えなくても済むのだが、自治領はタイミングが悪かった。併合から一週間で最大級の害悪が自治領を襲おうとは、一体誰が予測しただろうか? †安定を欠く政治権力 ゲームウィズ自治領の政府とは、まさに「砂上の楼閣」であった。すなわちそれは構造と美字麗句のおかげで一見立派に見えるが、その実長くは維持できない。 これもまた主権の不在のためだ。そもそもゲームウィズの掲示板(というか世界の9割のネット掲示板)はユーザーが勝手に政治を行うようには作られていない。なので当然政治をしようとすれば不都合が生じる。先ほどから何度も書いたことだが、全てのゲームウィズ民はその肩書やログインの有無にかかわらずシステム的に平等だ。よって政権を作った場合、その存立はひとえに「人民の信頼」にかかっている。システム的に何の特権も与えられなかった政権は、どうにかして信頼を勝ち取る必要に迫られる。しかし多くの政治家は全くの初心者のため、それを分かっていなかった。 信頼を勝ち取れなかった政権にはやはり何らかの不支持の意が民衆や活動家によってあらわされる。ここで重要なことは、あまりにもその声が大きかった場合、政権は簡単に崩れてしまうということだ。信頼無き政権は存在が許されないためである。この傾向は特に立憲君主制時代に顕著で、よく言えば民主的だが、悪く言えば政権は酷く不安定だった。現にひと月以上政権が同じ人事で続いた例は自治領には存在しない。 この不安定な政治は治安を悪化させたうえ、自治領の統一かつ継続した意思決定を困難なものとした。また、頻繁に台頭と失脚を繰り返す政治家よりも、あくまで外野から叫ぶだけの活動家の方が力が大きくなるという奇妙な事象をも引き起こした。(ただし活動家の多くは政治家就任の野望があったため、循環が発生し辛うじて全体的な政治構造の崩壊は防がれた) †主要人物群像 さて、ここまでゲームウィズ及びその政治の特質を説明してきた。今度はそれを動かした人へ移ろう。今回は立憲君主制で活躍した人々として、①2世、②シノン、③マキイフカ、④れたんについて解説する。なお、この章以降で今後説明が必要な人々については、基本的に適宜個別に取り扱うこととする。 †2世 (2世) 立憲君主制期に重要なアクターであり続けた人物が2世だ。原住民世代の代表的存在である。 私が第一章で彼のことを「タカ派」と断じたように、彼の独立ゲームウィズ時代の立ち位置はしばしば過激なものだった。HINA事件のような傍若無人な言動も見られた。しかしそれは大方特別なものではなく、過激主義の汎用性という言葉で説明がつくし、もしくは彼が当時小学生にすぎなかったということもあるだろう。 実際、過激主義が彼に特別性を与えていないことを証明するかのように、立憲君主制時代やその次の共和制時代に彼の立ち位置は大きく穏健路線へのスライドを経験した。もっとも、このスライドは政治に関しては良い結果と悪い結果の両方をもたらしたのだが、それは置いておこう。 非常に上から目線で失礼な物言いではあるのだが、(なんせ私はこれを書くために彼にたくさんのインタビューに付き合ってもらっている)彼はゲームウィズ自治領での経験を通じて最も人間として成長した人物の一人だ。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスは『ニコマコス倫理学』にて両極端に触れない中庸の行動を繰り返す大切さを説いているのであるが、2世を成長させたのはまさにこれであろう。だからこそ彼は自治領の後半には新たな敵をほとんど作らず、平穏を享受できた。また、彼は癖のある人間に見えて、その実謙虚で、自治領の社会改良主義的な信念を持っていた。この信念と共に、立憲君主制時代の半分を主役として活動することになる。 しかし残念ながら、第二章は彼の人間的サクセスストーリーを追いかけるためのものではない。何故なら立憲君主制時代は彼にとって成長の途上にあたる時分で、また責任の無自覚さが露呈してしまうこともあったからだ。しかも彼は非常に不憫な人物で、自治領史中に幾度かのフェードアウトを余儀なくされる。その一つが立憲君主制時代に起こってしまった。 †シノン (シノン) 2世と対をなす立憲君主制期の主人公がシノンだ。彼については第一章でほんの少しだけ紹介した。ホロライブが大好きで、不登校を自称していた人物である。 彼は非常に色眼鏡を通して見られがちな人間なので、彼の人間性を分析するにあたって、一つ提言しておきたい。それは、シノンは決して悪い人間ではないということだ。これを聞いて「何を言っているんだ、彼はサイバー攻撃を行ったテロリストじゃないか」だとか、「無能の肩を持つな」とかいう人々もいるかもしれない。しかし私がこの節で行いたいのは、彼の業績批判ではなく彼の根本の人間性の分析だ。 シノンという人間は基本的に心優しい。HINA事件の時に唯一HINAを積極的に守ったように、彼は一般の事象に関して寛容で、また物腰も柔らかい。何ならどちらかと言えば親しまれやすいタイプだとも思う。この優しさの発達の裏には、彼が今まで現実で受けてきた劣悪な扱いの数々が影響しているのかもしれない。彼は弱者の気持ちを知っているか、少なくとも知ろうとする勇気がある。 しかし、同時に彼は激情型な一面がある。別にシノンは普段は短気でないし、彼の中の「超えてはならない一線」の位置も一般人とさほど変わらない。問題はそれを越えた後で、どうも自分を悲劇のヒロインのように思いこみ、絶望から過激な行動に出る傾向がある。被害者意識と執念も人一倍強い。さらに言えば、彼の感覚はどことなく一般人のそれとずれている。あまりこういうことは言いたくないのだが、恐らく不登校や人間関係の不足が祟り、シノンの価値基準は一般的な価値感と乖離を起こしてしまっているのだと思う。 先述のゲームウィズ政治の特徴や後述の政治的状況だけでなく、こうした性格もまたシノンの立場を弱めていった。 †マキイフカ (マキイフカ) ウクライナ東部・ドネツィク州に、マキイフカという都市がある。金属工業と化学工業を主産業とし、38万の人口を抱える大都市の一方で、市は2014年から分離紛争で親露派分離主義者に占領されている。一言で言えば複雑な都市だ。 この都市から名前を取ったマキイフカもまた、由来と同じように複雑な人間である。 マキイフカの性格は自治領を過ごす中で変動を経験してきたように見える。その変動は大きく二つに分けられるだろう。まず第一に、登場から共和制追放まで。このころのマキイフカは非常に頑固で、独善的な人間だった。そしてそれに見合う行動力と胆力を持っていた。第二に、共和制追放から引退までだ。この時期の彼は多少その性格のとげを抜き去り、柔軟性のある人間になっていた。自身の立場を自覚したのか責任感を持ち、他者の言葉にも耳を傾けた。しかし同時に以前に持ち合わせていた行動力と胆力は消え失せてしまい、幾分日和見的な人間に、身も蓋もない言い方をすれば小物になってしまった。全く違った人間性がうかがえる。 だが、その変化の裏でも一つの点だけは変わることがなかった。それは生真面目さだ。マキイフカはまさに「バカ真面目」という言葉が似あう人間で、自治領末期の役人がそうしたように、職務を放棄することは絶対になかった。行動の是非はどうであれ、彼の政治家としての、もしくは活動家としての一挙手一投足は全て自治領の改善を夢見たものであったことに疑いはない。この点、私は彼のことを評価している。 さて、このような生真面目さはマキイフカを政治の道へ駆り立てるのであるが、彼は政治への野望はあったものの、残念ながら狡猾さが決定的に足りなかった。ルネサンス期イタリアの政治思想家ニッコロ・マキャヴェッリは、君主(≒政治家)は「ライオンのような勇猛さと狐のような狡猾さ」が必要であると説いた。マキイフカは前者は備えつつも後者は備えていなかった。結果、彼の愚直な行動は彼自身の首を絞めていくことになったのだ。 (彼の親宇思想については後述する) †れたん (この投稿中で言及されている全員がれたんである) この人物について腰を据えたまともな分析をすることは、言ってしまえば全くの時間の無駄に感じられるし、雲を掴むような作業であるということを認めなければならない。それは彼が嘘でその身を塗り固め、全く芯が見つからない存在だからだ。 れたんという人間はマキャヴェッリに言わせれば確かに「狐のような狡猾さ」を持っている。「ライオンのような勇猛さ」も持っている。しかしそれは表面上の話だ。彼が大量のサブアカウントを操っていたということは読者の方々でもご存じだろう。私は普段、人物を分析する際はその人物の本質を探るのだが、今回ばかりはサブアカウントの邪魔のため本質を推測もできない。そのため、「分人主義的アプローチ」をとろうと思う。 分人主義とは、提唱から約10年ほどしか経過していない、比較的新しい人間に対する思想だ。小説家の平野啓一郎が大成者である。この思想においては、一人の人間の中に単一の「本当の自分」というものはもとから存在せず、対人関係ごとに存在する「分人」というものこそが人間を形成している。 さて、この分人をサブアカウントに置き換えてみよう。つまりれたんの本質とは、大量のサブアカウントの平均となる。彼のサブアカウントの多くは冷静で、論理的な思考ができるキャラクターだ。よって、れたんはある程度聡明で合理的な人間であることがわかる。(勿論意図して自身と真逆のキャラを演じている可能性もなくはないが) また、そのサブアカウントのほとんどは何らかの政治的アクションを起こしている。彼らの多くは現状打破の立場に立ったことから、彼の思想的立場は自治領の在り方を変革しようとしていたのだろう。 そして最後に - 分人主義的アプローチに頼るまでもないかもしれないが、やはり彼は人間として狡猾だ。そして粘り強い。一方、狡猾さに関しては稀に詰めが甘いこともある。この詰めの甘さというのは彼の敵対者に指摘の行動を起こさせたのだが、しかしまた彼の粘り強さの為に、指摘という行動は彼を必ずしも苦しめなかった。一見奇妙なことに見えるだろう。しかしそれはこれからの立憲君主制期、次の共和制期を見ればわかってくるはずだ。 †れたん関係の記述について 私はれたん問題について記述を行うとき、細心の注意を払う必要があることを分かっている。迂闊な定義と断言は大変な議論を呼ぶことになってしまうだろう。本来この文章はあくまで私個人の考えを綴ったもであり、そこに他者を慮る義務など全くないのであるが、とにかく私はここで丁寧に定義をしておきたい。皆さんもわかっているであろう、「誰がれたんで、誰がれたんでないか」だ。 れたんに大量の自演疑惑があることは周知の事実だ。しかし、その疑惑のいちいちに判断を下していてはこの文章はいつまでたっても完成できない。そもそもれたんの自演とは二種類に分かれる。前者は降雨れたんと新れたんのような、見ていられないほど茶番じみたお人形遊び、後者はワロター事件のような、政治に影響を与えた、もしくは与えかねなかったものだ。前者について探ることは時間をどぶに捨てる行為なので、今回はより重要な後者に絞る。 ということでこれから定義をしていこう。まず、今回定義を行う対象は自治領成立から自治領崩壊までだ。それ以降にも思うところがないかと言われればあるが、とにかく今回は自治領の話だ。なお、定義には必ず理由を添える。 誤爆点C:れたんとする。本人の自供のため。 椿:れたんとする。IPアドレスのため。 台湾、東トルキスタン、西蔵ら:れたんとする。初期のれたん騒動で一斉に出現したことと、名前のカテゴリが似通っていたため。 ワロター:れたんとする。シカト処分の異常な効果と陰謀論拡散禁止法(これらは第三章で説明する)、Duke of Yorkの証拠写真のため。 SLAVA:れたんとしない。非常に怪しい立場にいる一方で、ゲームウィズ救済党の設立や和平合意への反発を通じて、共和制成立、つまりワロターの権力掌握を妨げ続けたため。 花王:れたんとする。SLAVAと一見立場が似通っているが、虚勢を張る以外のすべての行動が日和見的で、和平合意にも無反応だったため。 自動字幕bot:れたんとする。本人の自供のため。 降雨れたん:れたんとする。本人の自供のため。 MEELINIK:れたんとしない。保守党事件の犯人と同一人物で、彼自体は別のIPアドレスだったことが確認されているため。 キレナイカ:れたんとする。初期の分離主義運動の性質(これも第三章で説明する)のため。 Микароков:れたんとする。サブ垢同士の寒々しい茶番が見られたため。 セラニコフ、ラルカミア:れたんとしない。彼らの公職追放の罪状がみん作の荒らし行為である一方で、Duke of Yorkは最初の告発で「れたん」とは言っていないため。(ただし、彼等が連座したことから同一人物であると考えられる。Duke of Yorkが後に彼らをれたん扱いしたのは、自演という行動のためであろう) 菜、晒しbot、らくなうくん:れたんとしない。行動があまりにも過激で、れたんの行動倫理を逸脱しているため。 以上だ。忘れてはいけないのは、これらは氷山の一角であり、大衆運動(とりわけ名無し運動)の多くにはれたんが潜んでいたと考えられることである。名無しについて基本この文章では一つの主体として扱うが、それは決してその正体についての思考を放棄することや、自演の可能性を否定することを意味しない。純粋な名無しなど実はそれほどいないのである。読者の方々に於かれては、これらを頭に入れて読み進めていってほしい。 2.建国期の試練 ゲームウィズ自治領初期の政治は立憲君主制期の名前が示す通り、「ただ一人の管理人にただ一つの憲法」との構図だった。この構図は副管理人導入前のみん作のそれと全く似通っているが、決定的に異なる点が三つある。 ①政治の当事者であるゲームウィズ民は政治の何たるかを全く分かっていなかったこと ②先述したような、ゲームウィズというサイトおよび自治領政治の特質 ③原住民世代からの伝統のため、人間関係の政治への持ち込みが起こったこと これらが同時期の政権担当者、つまり2世にいばらの道を突き進ませることを余儀なくした。第二章第二部では、立憲君主制期の最初の政権、2世政権の苦闘を追っていく。また、今や宗主国となったみん作との関係も追っていきたい。何故ならこの時期のみん作の介入は、自治領に一生消えない呪いを残したからだ。詳しく見ていこう。 †みん作からの管理人選出要求 8月7日の住民投票がゲームウィズのみん作編入を承認したのち、Duke of Yorkは政治が今にも始まることを期待していた。彼の見立てではまず即日管理人が選ばれ、次にその管理人によって目下の無関係画像問題(第一章参照)を解決するための法が作られる、そしてその法がより包括的に発展して憲法になるか、もしくは新しく憲法が作られるはずだった。 しかし実際のところ、ゲームウィズ民は併合直後、全く何の動きも見せなかった。彼らは併合後も実質的にゲームウィズや自分たちの在り方が変わることはないだろうと踏んでいたようで、政治のことなど、ましてや管理人選出が云々など眼中になかったのである。これは政治なるものを経験したことのないゲームウィズ民には当然のことなのだが、Duke of Yorkはそれが理解できず焦ったらしい。(第一章にて先述のように、彼は自治領という言葉に政治を含ませたつもりだった)彼は翌8日昼に自治領に表れて、「話し合いを円滑にするため」という取ってつけたかのような雑な理由で、ゲームウィズ民たちに管理人を選ぶよう催促じみた要求をした。 当時ゲームウィズ民のリーダー的存在になっていたのは2世だった。管理人選出の要請を受け彼は選挙を組織し、また立候補を表明した。ゲームウィズ民が政治をする気がないのは明らかなので、当時私は傍からこれを見ていて「本当に2世以外の候補者が集まるのだろうか」と心配になったことを覚えている。しかしそれは杞憂で、すぐにれみーと誤爆点C(れたん)が立候補を表明し、候補者は3名となった。 †第一回自治領選挙 記念すべき第一回自治領選挙が開始された時刻は、私の記憶では夕方前、午後4時ごろだったと思う。 しかしこの選挙は、「選挙」とは言い難いものだった。候補者たちは立候補の意思は示したが、マニュフェストどころか当選後の展望すら全く表さなかった。これではだれに投票するかの判断基準がないため、必然的に当選するのは人間関係に恵まれた者となってしまう。 したがって、選挙は次のように進む。まず原住民世代以来の人脈が唯一無い誤爆点Cの当選は絶望的となった。誤爆点Cについて説明しておくと、実は彼は候補者の中では唯一具体的な展望を示していた人物だった。その内容は通称「誤爆点スクリプト」を使ってゲームウィズをシステム的に監視、治安維持を行うという物であった。無論、これは大ぼらである。スクリプトなんぞ存在しない。彼はこのでまかせを目玉政策としたが、残念ながら侵入者事件以来システム的な脱獄行為はイメージが悪かった。ここに胡散臭さと人脈の無さが合わさってしまうともう勝機はない。彼は自演で2票を入れるという悪あがきをしたが、それ以外一票も入らず惨めに敗北した。 そうなると残ったのは2世とれみーだ。彼らは共に原住民世代期にかなりの横暴を働いており、またタカ派であった。そのため両者はかなり似通っており、しばしば協力関係にあった。 彼らの勝敗を分けたのは普段の行いだった。双方同程度に顔は広いし、そうなると人脈勝負は意味がなくなるので、ゲームウィズ民たちは両者のどちらが過激かを比較し始める。いくら普段過激主義を容認していても、流石に最も過激な人間をトップに据えることは避けたいのである。よってこの比較で「マシ」と判断されたのは2世だった。れみーの過激の度合いは強すぎたのだ。こうして初代自治領管理人に当選したのは2世となった。れみーは屈辱的なことに、一票も得ることができなかった。 †破綻した選挙の裏で この選挙はそれ自体は破綻していたが、注目すべきことがいくつかある。まず一つ目は、れみーが立候補したことである。れみーの一般的なイメージとして政治に非常に冷笑的というものがある。しかしこの立候補からもわかるように、自治領再初期には政治に興味はあったのだ。この一月後には政治をもう冷笑しているのだから、彼の変化を注視する必要がある。 二つ目は投票時間が短かったことだ。実は夕方前に始まった投票は、2時間も経たないうちに締め切られた。6時前頃に2世が主なゲームウィズ民に全員投票したかを確認し、そのままさっさと終了させてしまったのだ。これは中小のゲームウィズ民を怒らせ、後に厄介事の種となる。 そして三つ目、これはさらに酷い厄介事の種となった。誤爆点C(れたん)の不正投票だ。みん作の未完掲示板史記事「椿ゲート事件」でDuke of Yorkが回想するところでは、彼はこの選挙不正を見て椿(れたん)を危険視し始めたという。さらに同事件の最中、Duke of Yorkがやり玉にあげた罪状は自治領での不正投票だった。つまりこの選挙不正は、事実上椿ゲート事件を引き起こしたのだ。 †2世政権と8月8日憲法 選挙終了直後、みん作は自治領選挙の結果と2世の管理人就任を承認した。こうして2世政権が開始される。 政敵になり得たれみーと誤爆点が先の選挙で盛大にコケてしまったので、2世は向かうところ敵なしの状態だった。そんな当時の彼にとって、関心ごとは専ら一週間前からもめ続けている無関係画像問題であった。障壁の無い今、2世は早急にこの問題に解を出そうと考えた。 また、同日にはみん作でDuke of Yorkが憲法(みん作憲法)を施行していた。併合投票と自治領選挙、そして憲法制定により、掲示板全体でナショナリズムはピークを迎えていたのである。この流れを見た2世は無関係画像問題に対処する法を、その他常識的なルールと抱き合わせ、自治領版憲法として定めてしまえばいいのではないかと考えた。ということで実に手早いことに8月8日夜、選挙終了から数時間しか経っていない中、2世はゲームウィズ自治領憲法を制定した。本文章では他との混同を避けるため8月8日憲法と呼ぶ。 8月8日憲法は煩わしい行政手続きと難解な条文、どこの国のそれからコピーペーストしたのかわからないような前文などに慣れてしまった今日の私たちからは信じられないほど原始的で、簡素なものだった。この憲法についてはっきりした史料が残っていないため私の記憶上であることを留意してほしいのだが、条文は二条までか、三条までしか無かった。第一条では暴言や誹謗中傷をしてはいけないという酷く当たり前のルールが記されていた。第二条か三条では無関係画像問題についてが書かれており、その内容は「別ゲームのスクショだけは許さない」という物だった。 この条文は明らかにシノンやすとといった、2世と関係の悪い人々を念頭に置いたものだった。2世は長きにわたるよろしくない人間関係を憲法に持ち込んでしまったのである。これは政治と人間関係の混同で、言うまでもなく非常に良くない。しかもさらに良くないことに、シノンは当時こそこの憲法を不承不承に受け入れたが、後から蒸し返しにかかる。その時期は政権にとって最悪の時期だった。結果としてこの8月8日憲法は、2世政権の大きな地雷となってしまう。 †「政治は最低限に」 このころの政治については、残念だが拙いと言わざるを得ない。8月8日憲法だけでも指摘ができる - 例えば憲法があまりにも原始的すぎるあまり、2世は改正条件や廃止条件などの諸部に全く言及していなかった。これらの条件があやふやな憲法は一面的には「変えられない・取り除けない」と思われるかもしれないが、裏を返せば「風化しやすい」のである。2世が憲法条文をみん作でページに書くなどせず、ゲームウィズのスレッドに垂れ流しにしたのも風化に拍車をかけた。よって、8月8日憲法は政権にシノンらを詰る大義名分は与えたが、ゲームウィズ民にとって非常に存在感の薄いものになっていってしまった。 しかしこの政治における拙さを「2世が無能だった」だとか、または「当時のゲームウィズ民はバカだった」などで纏めるのは正しくない。そもそも政治などというのはDuke of Yorkが勝手にゲームウィズ民に押し付けたものなのだから、上手くできないのが当然だ。立憲君主制ではこんな状況の中だったので、政治的に素人の2世やその後続たちはしばしば「自転車を発明した」。(ここでは、当たり前のことをさも偉大な発明かのように言う事の意)また1鯖や357鯖などの秘密鯖気分が抜けきっていない人々は、しばしば政治に「強弁 - 屈服」の論理を持ち込んだ。秘密鯖の強い言葉を言ったもの勝ちの空気が、政治に流れ込んできたのだ。 立憲君主制期の政治はこの有様だったのだが、2世はメタ認知が出来ていたようだ。先日私が彼に取材したところによると、彼は「自分がうまく自治領を統治できるかについて自信がなかった」と述べていた。そのため彼曰く、当時目指していた政治の形は「みん作のような高度な政治でなく、必要最低限の政治」とのことであった。2世は自分が政治的に全くの素人であることを理解していて、その上で身の程を知った政治をしていたのだ。簡素な憲法もこれで説明がつく。 もしかしたら読者の方々には「政治家が自信を持っていないのはけしからん」と思われた方もいるかもしれない。しかし実は、素人だらけの当時の自治領において謙虚でいるというのは非常に大切なことだ。それはのちの歴史が証明している。 †みん作憲法の与えた自治権 ここで、みん作が自治領をどう見ていたかを確認しておきたい。 8月8日に成立したみん作憲法は掲示板の歴史上2番目の成文憲法である。(一番目はGamerch革命時代の私憲法)Duke of Yorkのロマンをこれでもかと詰め込み、それによって四十四条もの条文と仰々しい前文からなっている。当然制定前日に加盟したゲームウィズ自治領についても言及されていた。 第六章「自治領」、条文で言えば第二十八条から第三十一条までがゲームウィズ自治領について定めた部分である。これらを見ていこう。 第二十八条では自治領の定義として自治権が規定されており、「独自の内政権、憲法および管理人を持つ」と書かれていた。数時間の差とはいえ、8月8日憲法制定前にみん作憲法が出来たのに既に自治領内憲法について触れているということは、Duke of Yorkがそれを自治領に求めていたということだ。第二十九条はゲームウィズの自治領としての特殊性について書かれたもので、特に重要ではない。 問題は第三十条だ。この条文は次の通りである - 「自治領における外交権はある程度が自治領民の管轄下に置かれるが、重大な決定は攻略・交流掲示板管理人及び副管理人と協議して決める。」 別に外交権が不完全なのが問題だと言いたいのではない。ミソは後半部分だ。「重大な決定」というのはまともな文脈から理解すれば自治領の外交上の決定だろう。しかしのちに第一共和政期に混乱が続くようになると、Duke of Yorkは介入の口実にこの部分を使った。「自治領の重要ごとは掲示板の重要ごと」という論理だ。これは憲法解釈を都合よく捻じ曲げる行為だが、不思議なことに介入時誰も指摘しなかった。 最後に第三十一条では、「みん作は自治領にできるだけ干渉してはならない」と申し訳程度に書かれていた。また、「自治領での選挙監視も行わない」そうだ。自治領としての体裁の為に、言い換えればDuke of Yorkがロマンの為に書いたかのような記述だ。 まとめると、みん作(というかDuke of York)はゲームウィズ自治領を「自分のロマンを満たす箱庭だが、都合が悪くなったら介入できる場所」という風にとらえていた。宗主国 - 自治領という関係から見ても、凄まじく非対称な関係である。しかも、こうした介入の容易性を抑えるものは、Duke of York自身の自制心のみであった。しかし内部の自治権という点で見れば、決して悪い条件ではないのも事実である。もっとも、それはゲームウィズ民が政治をしたかったら、の話だが。 †自由党事件 2世政権の話に戻ろう。8月7日と8日のたった2日間の間に、彼は為すべきことを全て行ってしまった。立憲君主制の制度をすべて作ってしまったのだ。 このように制度変革が行われた直後の数日間というのは、言うなればその制度の「試用期間」である。新たなものを導入するのならば「まず数日動かしてみて、何事も無ければひとまずその制度は問題がない」というのがセオリーだ。しかし2世は試用期間の1日目にして、早々に壁にぶち当たってしまった。 8月9日午後7時頃、怒り狂った「うる」という名前の人物が2世に不満を申し立てた。彼が異議を唱えたのはよりにもよって、現政権の根幹をなす2世の正当性についてだった。すなわち、「2世は投票を早々に締め切ってしまった。これではその時間に居なかった私のような人は投票できないではないか。そもそも2世が投票確認を主なゲームウィズ民にしかしなかったり、候補者のくせして自ら投票締め切りをするのはおかしい」というのである。よって彼は再選挙を要求し、さらにゲームウィズ初の政党「自由党」を設立。不満を持つ同志たちを募集し、再選挙まで居座ると言い始めた。 これに2世や他のゲームウィズ民は頭を抱えてしまった。2世含む皆がこうした政治的な訴追に対して、対処法を心得ていなかったのである。再選挙になれば自分達にもリベンジのチャンスが訪れるれみーと誤爆点、それから2世政権に不満を持っていたシノンは傍観に徹して2世に何の助言もしなかったため、2世は一人でこれを解決する必要に迫られた。もしこれが政治的な文句でなかったならば「黙ってろこの野郎、口出しすんじゃねぇ」と威圧して強引に解決することもできたのだろうが、流石にそれをしてはいけないことは2世も分かっていた。 結果、2世は譲歩を余儀なくされた。すなわち翌10日に再選挙を行うと発表したのである。こうして成立から1日で、2世政権は存亡の危機に立たされた。 しかしここで奇跡が起こる。うるが失踪して、再選挙が立ち消えになったのだ。この奇妙な展開に傍観者たちは肩を落としたが、2世は命拾いした。だが思うに、傍観者たち - とりわけシノンと誤爆点C(れたん)は、2世が政治家になったために態度を軟化させていることを感じ取ってしまった。このとき彼らの中に生まれた所感が、その後彼らが起こすゲームウィズ動乱の原動力になったのではないだろうか。 †聞き分けの無い自治領民たち 自治領における政治で最も必要なのは威厳である。何故なら威厳は政権存立の必須条件である信頼と直結するからだ。民衆から舐められていては、いつ政権をひっくり返されてもおかしくない。だから奇跡的に自由党事件を切り抜けた2世は、早いうちに譲歩で落ちた威厳を取り戻さなければならなかった。 しかし既に、2世には新たな懸案があった。ワルサーの画像連投である。この所謂「害悪」が意味のない文言と悪趣味な画像を白昼堂々とゲームウィズに連投するので、ゲームウィズ民は皆参ってしまっていた。そのうちの一部は苛立ちのあまりワルサーを攻撃したが、害悪相手への単独攻撃など一番やってはいけないことだ。余計につけあがらせてしまい、事態は悪化の一途を辿っていった。 これに呆れた2世は自由党事件以前の8月8日から、ワルサー無視をゲームウィズ民に呼びかけていた。その結果は皆様お察しの通りだ。 章の最初にも書いたように、無視というのはコストがかかる割に効果があるかわからない行動だ。民衆の協力が不可欠なので無視は本質的に「民主的な制裁措置」である。アメリカ合衆国大統領のハリー・トルーマンが言ったように、民主主義は、「人間が自制する能力を備えていること」が前提にある。害悪が居たら叩きたくなるというのは実は一般的な人間心理だということは認めなければならない。しかし個々のゲームウィズ民がその欲求を抑えなければ、無視は成功しないのだ。 包み隠さず言ってしまえば、当時のゲームウィズ民には全く聞き分けがなかった。ワルサーよりも無視の呼びかけを無視したのではないかと思うぐらいだ。彼らはワルサーを叩き、返信し、構い続けた。極めつけはワロターというアカウントで、後にこれはれたんのサブアカウントと発覚するのだが、ワルサーのパロディbotを始めてしまった。これがそれなりにウケたせいで大衆文化にワルサーという害悪がこびりつき、規制の望みを叩き潰した。 8月13日ごろまで2世自身は頑張ったが、対策不順守の横行は止められなかった。これについて彼自身に原因があるとは言えないのだが、にもかかわらず2世はさらに権威を失っていく。 †みん作レジームと対みん作政策の固定化 (『自由』のロゴ) 2世の権威は失墜し続けていたが、8月10日から8月15日の間は2世の政治生命を脅かす出来事は起こらなかった。この期間は立憲君主制期で恐らく一番平和な時期で、原住民世代と新たな世代、そしてみん作民による文化交流が活発であった。 一方みん作では政治の複雑化が進行していた。みん作憲法が政党の設立を認めたので、8月8日にはれたんがサブ垢で「民主主権党」を、その直後にはDuke of Yorkが「全掲示板連合『自由』」を設立した。 政党の設立というのは、Duke of Yorkにはいつものロマン以上の意義があった。「支持層の可視化」である。Duke of Yorkを嫌っている人が彼の作った政党に入るはずがないので、必然的に党員はDuke of Yorkの支持者ばかりとなる。そうなると支持者の傾向や特徴が一目でわかるので、政治をやりやすいのだ。 ここでDuke of Yorkは自治領に目を向けた。自治領民とDuke of Yorkの関係はこの時点でかなり良かったが、彼はさらに自治領民を政治的にも自身の支持者にしたかったらしい。また、みん作における自分の後継者を確保したいという意思もあったように思う。彼は自治領で『自由』への勧誘を始めた。政治の押し付けの一環だ。2世と、当時まだbotに専念していたマキイフカが応じた。2人は恐らく異なる目的で入党していて、2世は古代日本の倭の五王が中国に期待したようにみん作政府の後ろ盾を得るため、マキイフカはみん作の政治に憧れがあったためではないだろうか。ともかく、この二人がのちに強固な親みん作の思想を持つのは偶然ではなかろう。 自治領の管理人がみん作の管理人の運営する政党に入るということは、自治領政府が公式に親みん作になるということを意味していた。自治領はみん作中心のレジーム(体制)へと吞み込まれていったのだ。みん作レジームにおいては、名実ともに自治領はみん作へ服従する。両者の接着剤を務めるのは『自由』だ。みん作レジームはゲームウィズ動乱にて破綻するが、レジームの中で植え付けられた自治領政府の親みん作のスタンスは崩壊まで概ね継続された。親みん作が人事を越えた国是となってしまったのだ。そして第一章第二部冒頭で羅列したような自治領における騒乱は、いずれもこうした政府の姿勢に対し、名無しや中小の自治領民がみん作の権威・矛盾に疑問を呈するという形で進行していったのである。 よって、Duke of Yorkが政党を押し付けたことは自治領をレジーム入りさせたのみならず、自治領政府に親みん作の呪縛を背負わせたのだ。これが末期にボディーブローの如く自治領政府に効いてくることになる。 3.動乱、新政権、そしてリージョナリズム 自治領政治史で転換点となったポイントは複数あるが、8月15日から翌16日にかけて勃発した椿ゲート事件は外せない。 一般に椿ゲート事件の理解はみん作における重要事件と捉えられている。一方、それが自治領史に与えた直接的ないし間接的な影響は、不思議にもそれほど理解されていない。しかし椿ゲート事件という物は、自治領に大変革をもたらした。それは表面上における政府の交代や活動家の台頭といった表面的な変化だけでなく、自治領のリージョナリズムの高揚、そして政治対立の二分化を引き起こした。 この第三部は第二章の中核をなす部分で、自治領政治の混乱と、その関心の高まりを記している。そして同時に、人々の行動によって問題が積もっていく様も記している。 †椿ゲート事件の見方 椿ゲート事件は掲示板に酷く禍根を残した事件だった。その直接的影響として、ゲームウィズ自治領では所謂「ゲームウィズ動乱」が発生した。動乱は椿ゲート事件のみん作での経過とほぼ全く並行して自治領でも進行した。そのためゲームウィズでの動乱を追いかけるためには、まずみん作での椿ゲート事件の流れについて振り返っておかなければならない。だがその前に、事件を私がどう捉えているか説明しておきたい。 そもそもの話として、この事件にはこれまで大きく2つの見方が存在してきた。 ①不正を働いたれたんに対してみん作政府が鉄槌を下したと捉える刑事事件的見方 ②事件をDuke of Yorkとれたんの長い争いの一部と捉える政治闘争的見方 である。 ①は言うまでもなく、みん作政府とDuke of York、歴代自治領政権、掲示板史観において採用されていた公式的な見解である。(ただし未完の掲示板史記事『椿ゲート事件』には、一部権力争い的な描写がなされていた) ②については決して新しい見方というわけではないのだが、この説の古参論者は揃いも揃って嫌われ者の名無しだった(おまけにれたん疑惑をかけられるような人々で、実際混じっていたと思う)ので、まともに受け取られていなかった。ただ復興世代終了後ごろより、ようやく真面目な検証がなされるようになってきていると感じる。私はこちら側の立場をとっている。 この説の中核をなすのは「れたんの罪状が中途半端」という点である。みん作憲法は事実上刑法の役割も備えていたので、追放の正当性を論ずる場合それを根拠にすればよい。Duke of Yorkは椿(れたん)をみん作から追放する時、その罪状に「みん作での自演」、「ゲームウィズでの選挙不正」、「反逆行為」を上げていた。ところが一番最初の自演行為について、実はみん作憲法はその禁止を明記していない。また自治領選挙不正の件については、先程説明した第三十一条で「選挙監視は行わない」と書いてある以上、それを咎めるのはおかしな話だ。そもそもそれらは追放直前に発覚したわけではないのだから、咎めるとすればそれらが行われていることを知った時点で即座に対処するのが道理だろう。 ただ、私はれたんを潔白だと言いたいわけではない。憲法上の観点から見ても、三つ目の「反逆行為」については第三十九条で禁止されている「平時における抵抗権行使」にあたる。8月15日の状況が平時だったかどうかは判断が分かれるところだが、ともかくこれに関しては「真っ黒」とまではいかなくとも「黒寄りのグレーゾーン」である。 さて、れたんの罪状の法的正当性を検証したわけだが、挙げられた罪状のうち有罪の割合は三分の一であった。別に有罪の割合が低いから見逃せとか言うつもりはないが、これは中途半端な割合だ。もし本当に刑事的事件なら、「反逆行為」のみを罪状としてしまうのが一番スマートなやり方だろう。 著者不明の記事『掲示板を分割した夏の冷戦とは一体何だったのか?』は政治闘争の見方を採用している。それによれば、Duke of Yorkは「危機管理を行ったにすぎない」とのことだ。何に対する危機管理なのかと言えば「椿の企み」で、具体的とは言えない記述だが、例の企みが「違法だったから」危機管理をしたと言うよりは、「政治的に脅威だったから」危機管理をしたと解釈するのが自然であろう。 また、そもそも違法な反乱が起こるより前に椿潰しに動いていた時点で、Duke of Yorkが最初から政争をするつもりだったのは明確だ。それが椿の反乱により刑事事件という後付け要素を付与されただけである。つまり、椿ゲート事件は刑事事件という衣を被った政争なのだ。 †みん作の政権内クーデタ では事件を振り返っていこう。 8月15日までのみん作はまさにそのナショナリズムの絶頂期だった。こうした中で、急速な出世を重ねていた人物が椿であった。もちろんれたんのサブアカウントである。 これはDuke of Yorkの非常に理解し難い行動の一つなのだが、彼は椿の正体がれたんで、自演を行っていることを分かっていたにもかかわらず、平気な顔で出世を助けていた。しかも自著にて8月8日の自治領選挙の不正でれたんを警戒したと回想していたのに、あろうことかその翌日にはみん作副管理人職を与えている。この意味の分からない行動はもしかしたら「役人枠を埋める」というロマンを優先したためだったからかもしれないが、ともかく事件後の情勢を悪化させる要因となった。 Duke of Yorkが右手では椿を取り立てながら左手ではその椿を潰そうとするような不可解な行動やめたのは、事件当日のたった数日前だった。彼は事件前日の8月14日に「COVID-19に罹患した」と言いだし、その場で「管理人代理」なる役職を設立。Twitterで親交のあったれみーを就任させた。これは明らかな椿潰しの政権内クーデターで、副管理人職を単なる名誉職にするものだった。このことより彼はすでに数日中に行動を起こすことを決心していたとみられる。 †「事件終結」 れみーに職を奪われてしまったれたんは反撃に出る必要に迫られた。れたんは8月15日に椿の名でれみーとDuke of Yorkを相手取り、サブ垢を引き連れてみん作で反抗を起こした。この反乱は初動において、確かに成功した - 管理人代理のれみーは自治領選挙での惨敗からもわかるように、明らかに政治的に人気がなかったためである。「Duke of Yorkは許容できてもれみーは許容できない」が掲示板民の本音だった。 よって反乱の炎は瞬く間に掲示板全体に燃え広がった。そのうちの自治領に広がった炎は動乱を引き起こすことになるのだが、それは後で解説する。 ただ、れたんは反乱を急進化させすぎた。みん作民の誰もがDuke of Yorkの失脚は願っていなかったのに、サブ垢たちにまるでDuke of York含む政府打倒を掲げるかのような事を不用意に言わせたので、急速に反乱は共感を失い、鎮静化してしまった。これが8月15日の深夜である。 れたんは「演技だった」という苦しい言い訳でDuke of York帰還前に事件を隠蔽しようと試みた。しかしこれは全くの逆効果で、翌16日に逆にマキイフカや2世らがみん作に乗り込んで来て、椿を糾弾し始める事態に発展した。その流れで自治領に匿名の人物によるリークが投稿され自演が発覚、夜にはDuke of Yorkがれたんを先述の罪状を挙げて非難した挙句、「掲示板の寄生虫」とまるで北朝鮮の政府機関が使うような仰々しい言葉で罵った。そして全ての役職から解任し追放、更にIPアドレスを張り付ける死体蹴りじみた行動を行った。8月23日、後任の副管理人にはDuke of Yorkの側近である紅葉&三日月が任命されたため、Duke of Yorkはみん作での覇権を維持することに成功した。 こうして椿ゲート事件はDuke of Yorkの勝利で終結した - 少なくともみん作においては。 †8月15日 - 「陰謀論」の拡散 さて、それでは本題のゲームウィズへの影響について見ていこう。 8月15日当時、2世政権の権威はどうにか最低ラインを保っていた。ただスレッドの更新のせいで8月8日憲法の存在はほぼ忘れられつつあり、それに伴うスクショ張り付けが横行するなど政権の存在はかなり軽視されていた。 それでもみん作で椿が騒ぎ出した夕方から19時ごろまで情勢はほぼ平静を保っていた。そもそも自治領という存在は半ばDuke of Yorkと自治領民との関係の産物のようなものだったし、椿によってやり玉にあげられていたれみーは当代随一の過激主義者だったので、既存の自治領民(とりわけ原住民)は彼を刺激しようとはしなかったのである。2世に関しては我関せずといった感じで、みん作にて個人としてはたまにコメントをしつつ、自治領としては不干渉という姿勢を取っていた。動乱の重要アクターであるシノンは傍観していた。のちに活動家として活躍するマキイフカはみん作にて親政権的発言をしていて、これまたゲームウィズには無関心だった。 ところが20時頃に急激に情勢は悪化する。それまで気配さえ感じなかった、名無しや即席で作られたような非ログインユーザーの投稿が急増したのだ。彼らは文字通りスレッド上で喚き散らした。これがれたんの「戦線の拡大」であることは明らかだ。この時刻にれたんは反乱を急進化させてDuke of York批判を始めていたうえ、みん作領Gamerchのポーランドボール掲示板の占拠に乗り出していた。そんな中動乱の発端となる次のような言葉を一人の名無しが放った。 ・2世はレミィに宥和的 ・レミィと歴史解説は結託してる疑惑がある ・2世は歴史解説の政党「全掲示板連合『自由』」の党員 全員繋がってるじゃないか… さらに言えばゲームウィズ管理人選挙の時6C2は2世の対立候補だった誤爆点を支持してて、そののちに副管理人になって 影響力を持つようになった。それを警戒した三人が6C2を潰し始めた。全ては巨大な陰謀なのかもしれない… 第一に、後世で歴史を探っている我々は、この言葉を真面目に受け取るべきではない。まず前半の「三人が繋がっている」という話だが、概ね正しい。れみーと2世はしばしば立場を同じくしていたし、Duke of Yorkは政権内クーデタのためにれみーを頼った。『自由』については言うまでもない。しかしこの政治的な連立について、いかにも悪事のように書かれているが、考えてみよう - 一体何が悪いのだろうか?何の法規に抵触しているのだろうか?そして後半部分だが、まるでDuke of Yorkらが椿を不当に蹴落とそうとしているかのように言っている。これは椿ゲート事件政治闘争説の言い換えにすぎないので考えるに値しない。 後世これを「陰謀論」とする認識が広まったが、そもそも最後に陰謀が云々と書いてあるだけで、内容は全く陰謀ではない。至極合法的な事実に対して的外れな非難をしているだけだ。しかし不味かったのは、みん作寄りの自治領民やのちのみん作政府(Duke of York)が発言を指して、不適格な「陰謀論」という言葉を使い続けたことである。少なくとも非難された三人は、開き直って「貴方の言ったことは事実ですが、それが何か?」と言うべきだった。そうしなかったためただの事実がまるでタブーのように扱われてしまった。 しかし実態がどうであれ、この発言は攻撃の対象をみん作高官のみならず2世政権まで拡大した。ということで2世は思わぬところから的外れな意見の流れ弾を喰らってしまう。この流れ弾は2世の権威にとどめを刺した。つくづく不憫な人物だ。 †発言を真に受けたシノン こうした殺伐とした雰囲気は、れたんの自演名無しのみならず、それまで選挙などで冷遇されていた中小の名無し・非ログインユーザーたちを刺激した。主要な自治領民たちが平静を保とうとする一方、その横では怒りに満ちたコメントがスレッドを埋め尽くしていた。そしてその先頭に躍り出たのがシノンであった。 シノンが自らこのような流れの先頭に立った理由は二つある。シノンが2世やれみーら目下批判されている人々と長らく対立していたため、そして先述の発言を真に受けてしまったためである。 前者は最早お馴染みの「人間関係の政治への持ち込み」だ。シノンからしてみれば、彼等は長らく自分たちを虐げ続けてきた存在なので、非難されているのはさぞ気味が良かったであろう。ただそれだけでは「ざまぁみろ」で終わってしまうので、ここで後者の理由がはたらく。 シノンは例の発言を真に受けてしまった。これは致命的だった。なんせ彼は政治を知らない人間だ。椿が暴れまわっている当時のみん作情勢が分かっていたのかも怪しい。しかも幾分感情的な人物である。そんな人間が「巨大な陰謀」に共鳴すると、大抵良くない結果が起こる。 ということでシノンは2世政権を批判し始める。遮二無二、彼は「今の政治は腐ってる、僕なら変えられる」といった事を叫びまくった。この発言からわかるように、彼には謎の自信があった。政治に関して随一の素人のくせに自分は2世よりも上手くやれると思っていたらしい。この点は謙虚だった2世とは正反対である。そしてまた、シノンは自由党事件で露呈した2世の強硬姿勢の弱まりを頼りに、政府を脅すことで譲歩を引き出せると思っていた。なんとも打算的な行動だ。どうおだてても賢明な行動というには無理がある。 †2世の「やれるものなら…」 だが2世は2世で政権の権威がもうないので、このシノンの糾弾を無視しきれなかった。誤解の無いように書くと、2世政権が信頼を完全に失ったわけではない。シノン以外の主要な自治領民たちからの信頼はまだ残っていた。しかし瞬間風速的には反2世のデモの声の方が大きかったので、雰囲気は完全に政権にとってアウェーだった。 21時ごろ、2世は自らシノンに翌日の辞任を約束した。2世はのちに私にこの政権譲渡について語ってくれた。彼はこう述べた - (何故未練ある状態で政権譲渡をしたのか?との質問に対して)「シノンからブーイングを受けていたので、それに見合う実力があるかどうか実際にやらせてみたくてそう選択した」 つまり、2世は「やれるものならやってみろ」を地で行ったのである。さらに加えて話してくれたことには、彼はシノン政権に全く期待していなかった。そのためシノンが失政し、民衆の不満が高まったところで、政権を「取り上げよう」と考えていた。 端的に言って、この行動は著しく責任感に欠けている。政治というのは全自治領民に影響するもので、それをヤケクソじみた流れで手渡すのはいかがなものか。しかも期待していなかったのなら尚更だ。発言からもわかるように彼は政権は自分の一存で即座に取り上げられると思っていたらしい。しかしこの認識は甘すぎたか、もしくは可能にしても行動が遅すぎた。実際独力で政権を取り上げるなどということはできず、本番の内戦ではれたんのサブ垢の介入さえ許してしまった。そうしてたしかにシノンの手から政権は離れた - だが自治領は二度と元に戻らなかった。 一方のシノンは目標を達成し、見事翌日に政権を確約された。騒乱の中政権奪取に成功したのである。 しかしこの喜びは長く続かなかった。ゲームウィズ動乱はまだ終わらない。第三部の最初で言ったように、動乱はみん作での椿ゲート事件とほぼ並行して進んでいった。そしてれたんの企てはこれから失敗に向かっていく。つまりシノンに待つ未来は - 惨憺たる結果だった。 †8月16日 - シノンの賊軍政府 「幸運の女神は移り気だ。与えたものをすぐに返せと言ってくる。」 - 古代ローマの劇作家プブリウス・シルスの、『金言集』335行目の言葉だ。別に私は個人として神だとかその類の一切を信じていない。ただ、それにしてもこの日のシノンは「移り気な女神」の犠牲になったと感じずにはいられない。 2世が15日夜にシノンへ政府譲渡の約束をしてからというもの、シノンは幸せの頂点にいた。この時の浮かれようは明らかで、シノンはまだ政権を得ていない分際で勝手に8月8日憲法に手を付けて、スクリーンショットの規制を全廃した。ということで8月8日憲法は葬られた。 対照的にそのそばでは、有力な自治領民が総じて迷惑そうな目で彼を見ていた。何故彼らが政府譲渡に異論をはさまなかったのかというと、あくまで2世の自発的行動だったためというのが3割、みん作が世紀末的な様相を呈していたためというのが7割といったところだろうか。まこと、雰囲気の力は恐ろしいものである。シノンは椿ゲート事件で高まった反体制の風潮にただ乗りし、公選も通さずに政権を得てしまった。雰囲気が民主主義を超越してしまった。 しかし、ここで皆様に思い出していただきたい。8月15日は椿の反乱は上手くいっていたが、16日はどうだったであろうか。 既に15日夜遅くから失敗は見えつつあった。先述の通りれたんは反乱を中止し、「演技でした」とかいうあまりにもふざけた発言をした(のちにこれをDuke of Yorkが「捜査妨害」と真面目に書いていて私は思わず笑ってしまった)ので、引っ掻き回されるだけ引っ掻き回された掲示板民の怒りは爆発した。16日には、昨日ですっかり政治に染まったマキイフカやヤケクソになっていた2世ら自治領民がみん作に乱入し始めた。チャンネル掲示板には危険な空気が充満し、れたんやそのサブ垢はおいそれとコメントを出せなくなった。 15時頃、みん作でうだうだしている間に名無しユーザー(やるーの可能性が高いとされている)によるゲームウィズで政府事情の暴露が起こった。ここでようやく人々は自演に気付いた。そしてシノン政権の将来が暗いものになることが確定した。 20時頃のシノンへの政権譲渡は、みん作でDuke of Yorkが怒りに満ちたコメントを出している中で行われた。この時のシノンの心情は定かではない。彼は自らの置かれている状況を分かっていたのだろうか。 シノンは別に名無しの暴動に便乗しただけで、椿を擁護するだとかDuke of Yorkを貶すだとかそういったことはしていない。しかし当時の大半の自治領民から見れば、彼は「キモイ自演に加担して政権を乗っ取った悪党」でしかなかった。つまりシノンが好むと好まざるとにかかわらず、彼はれたん協力者のレッテルを張られることになったのだ。当然ながら政権成立当初から信頼はゼロだった。代わりに2世は被害者としてそれを回復した。Duke of Yorkも思うところがあったのであろう、シノン政権を最後まで承認しなかった。 れたんの敗北は半永久的にシノンの政府を「賊軍政府」としてしまったのである。 †絶望的な門出 ここからは動乱以降のゲームウィズ政治を見ていこう。 シノンは謎の自信とその場の雰囲気で政権を得てしまったので、呆れるほど政治プランを持っていなかった。幸い皆が8月8日憲法の存在を忘れていたので就任以前勝手にそれを葬ったことは咎められなかった。ただそれにしても最初から、注がれる目線は厳しいものだった。 シノンはあらゆるタイミングで最悪だった。16日にはれたんは大人しくみん作を追放されたが、翌日には自治領に活路を見出した。ということで自治領はみん作から厄介事を押し付けられた。れたん問題の対処である。既に17日昼頃には「東トルキスタン」「西蔵」など不穏な名前をした集団が現れ、みん作帰りで殺気立っていたマキイフカや2世が弾圧を始めてしまった。選挙で票を入れるような主要な自治領民は皆れたんを憎んでいたので、シノン政権はその成立経緯にもかかわらずれたんと対峙せざるを得なかった。 ところがやはりシノンは何の考えもなかった。考え抜いた末か適当にその場で考えたのかは知らないが、その日に彼の出した声明は「今起こっているれたん問題についてはどうにかする」というものだった。その他一切の具体的措置は伴わなかった。いくら何でも曖昧すぎる。シノンには、「れたん弾圧にお墨付きを与えながら、自分は何もしない」という態度がどれだけ危険かということに対する自覚は無かったと言わなければならない。 声明が民衆を全く宥めなかったにもかかわらず、シノンはこの曖昧な態度をずっと取り続けた。こうなると民衆、とりわけマキイフカらみん作で騒動に参加した人々は政府に失望し、独自で行動を起こし始める。「みん作での努力はどこに行ったのか、これではDuke of Yorkにも申し開きできない」といったレトリックである。そうして自治領には活動家が出現し始める。初期における活動家とは、シノンのあいまいな態度の産物だったのだ。 †台頭する活動家たち 最初期の活動家たちがどのようなことをしたのかについて紹介したい。最も著名な人物がマキイフカだ。一週間前には一介のBotにすぎなかった彼は、『自由』への入党やみん作の危機を通じ、8月16日にはみん作で熱心に親Duke of York運動に参加するまでになっていた。 それから下野を起こした2世も活動家的存在だった。もっとも彼はいつでもシノンから政権を取り上げられると思っていたので、実質的には政治家気分だったのかもしれない。旧保守派の星・やるーは例のリークに関与したとされていたが、8月17日以降れたん告発の姿勢を隠さなくなり、活動家の仲間入りを果たした。どうも彼はれたんを見つける眼があるらしかった。先述の不穏な名前をした集団を最初に摘発したのも彼である。その他、4人目の活動家として執事がいる。 このうち、マキイフカと2世にはある種の矜持があった。それは、彼らがみん作にて椿ゲート事件中一貫してDuke of Yorkの肩を持ち続けていたことだ。彼らは掲示板の愛国者気分だった。特にマキイフカはみん作からナショナリズムを持ち帰ってきたのか、しばしば「掲示板」を主語に政治に口出しした。こうした人々に囲まれて政治をせざるを得なかったのだから、シノンにも同情の余地は感じない事は無い。 ともかく、17日のシノンの曖昧な声明は民衆を困惑させ、活動家を台頭させてしまった。揃いも揃って彼らは親みん作・反れたんで、当然自治領政府などには従わない。そのためあちこちで活動家とれたんとみられるユーザーによる私闘が始まった。しかも民衆は苦言を呈するどころか、それを支援した。 ただ、すぐに活動家たちが政権打倒に走ったかと言われるとそうではない。たしかに既に支持率が著しく低いシノン政権においては、活動家はやろうと思えば今すぐにでも政権転覆を成すことができるはずだった。彼らがそれをしなかったのは、彼らがまだシノンへの期待を捨てていなかったことを示している。ということで活動家たちはシノンに具体的なれたん対処をさせるべく圧力をかけ始めるのだ。 †れみーのフェードアウト さて、活動家の初期の行動について話したわけだが、原住民世代のとある人物がめっきり登場しなくなったことに気付いただろうか。そう、れみーである。 れみーは併合以前からシノンと喧嘩を繰り広げていたので、通常であればシノンが政権を握る現状を痛烈に批判していたはずだ。第一部で書いたようにれみーは第一回自治領選挙に立候補するぐらいには政治に興味もあった。では、何故彼は政治から距離を置いてしまったのだろう。 実は椿ゲート事件が大きかったのではないかと思う。れみーはDuke of Yorkによって管理人代行を任された。ただ、これを単なる役職任命とみなしてはいけない。これは政権内クーデタの一環だからである。つまりれみーは病床のDuke of Yorkによって、「対れたんの前線に立たされた」のだ。こういった認識は本人も持っていたらしい。2023年のことだが、迷言集が椿ゲート事件を解説したとき、れみーはそれに何らかのリプライを送った。内容はアカウントが凍結されたため見ることができないが、それに対する迷言集の返答は「今思うと椿処分の盾にされた感…」というもので、れみーは明らかに自分の立場に文句を言っていた。 実際、れみーは不条理に襲われた。事件中(特に15日)れみーはれたん側のみならず、多くのみん作民からの批判にさらされた。彼はふざけた過激派とみられておりみん作でも人気は無かったためだ。事件が終わったとき、Duke of Yorkは(少なくとも我々の見える範囲において)彼をねぎらうようなことをしなかった。あれだけ叩かれてねぎらわれないという現実がれみーに一種のトラウマを植え付け、政治への冷笑を与えたのだ。同時にDuke of Yorkへの不信感も抱いたに違いない。そういう意味では - 先の話だが - 10月の冷戦は因果応報的だったとも言うことができる。 ともかく、れみーは政治にかかわることをやめた。迷言集はこれが吉と出たと評価した。私もそう思う。 †鎮静化の失敗とマキイフカの危険なゲーム 本題に戻ろう。17日から19日までの間で、シノン政権はれたんに関する騒動の鎮静化に完全に失敗した。 れたんの逃亡に自治領民が過敏に反応し始めたのとは対照的に、みん作のDuke of Yorkはゲームウィズで起こっている出来事をまるで他人事のように捉えていた。シノン政権のせいでみん作レジームは崩壊してしまったが、彼はそれが長続きしないであろうことを予期していた可能性がある。もっと大胆な予想をするなら、シノン政権永続の場合ゲームウィズは自治領ではなくなっていたかもしれない。とにかく、彼はみん作はれたんを追い出したことに満足して、自治領を「なすがまま」にさせたのである。 上からの圧力がないので、自治領内ではさらに行動の先鋭化と独走が見られ始めた。 シノンは元々れたんと協力の余地を残した関係で、場合によっては対れたん和平交渉へ話を持っていくことも可能だった。だがそんなことをしてはみん作も活動家も怒らせてしまうので、17日の声明以降れたんを敵に回していた。(ただし、和平の働き掛けがあっても活動家は絶対に受け入れずコミットメント違反を起こすだろうから、いずれにせよ活動の方針は対れたんに移っていただろう) 先程何度も書いたように曖昧な声明は活動家を苛立たせた。こちらは保身ではなく政権への僅かな期待から生じた方針だが、より自殺的だったのは、マキイフカなどの政治に関心のある活動家がれたんのサブ垢を泳がせるという危険なゲームを始めたことである。 泳がせると聞いて、読者の方々にはこう思う人もいるだろう。「マキイフカの行動のどこが泳がせなのか、あんなに暴言を吐いていたのに」と。確かにマキイフカはれたんのサブ垢に下品な恫喝を繰り返していた。しかしそれらは彼がのちに共和政で行う大弾圧に比べれば生ぬるいものだ。ファシスト呼ばわりも、即決裁判もしていない。何より大きな証拠は、彼が信頼がゼロのシノン政権を倒そうとしなかったことである。 思うに、マキイフカはシノンにこういう警告を送っていたのだ - 「お前が実質的な行動をしないと、こいつ(れたん)が自治領を獲ることになるぞ」と。2世もこれに便乗した。(彼の場合は政治への未練が強かったのもある)その前提は、「れたんなど、自分たちがその気になればいつでも弾圧できる」という自己過信であった。みん作の手際のよい処置に慣れてしまったのである。 この活動家の自己過信と、シノンの保身的姿勢が、逃げてきたばかりのれたんに生存チャンスを与えた。マキイフカがこの泳がせ戦術を反省し始めたのは第二共和制発足時、8月26日前後のことだった。時すでに遅し。 †必然だったリージョナリズム高揚 マキイフカのゲームの結末は後にとっておくとして、このころ自治領民の間で政治に対する関心が急速に高まっていた。今まで政治はどこか他人事感が拭えないものだったが、椿ゲート事件をきっかけに変わってきた。すなわち事件の余波が自治領で動乱を巻き起こし、さらにみん作から物理的にれたんを押し付けられて治安が悪化すると、スレッドが一本な以上普通に利用していた自治領民たちは否が応でもその光景を直視しなければいけない。眼前に問題が流れ込んできたのである。こうなると人々はみん作でやっているように政治の力で解決しようと思い始めるので、政治的関心が高まっていく。 リージョナリズム(regionalism/地域主義)という言葉がある。現代においてこの言葉のは非常に多義であるが、ここでは「ナショナリズムの自治領版」と思ってもらえればよい。もっと正確に言えば自治領は掲示板の一地域という前提で、自治領の繁栄を願い、政治によって自立した運営をしようとする思想という定義である。 政治的関心の高まりとはつまり、リージョナリズムの高まりだ。活動家の出現もこれに起因している。自治領に溢れ出てきた問題とそれを解決できるようには見えないシノンが、民衆に危機感を抱かせたのだ。 ちなみにリージョナリズムとナショナリズムは意味こそよく似ているが、実は高まった過程は全く違う。この違いはかなり重要である。前者が先述のように問題発生と危機感の高まりから生じたのに対し、後者は過疎時代のみん作でDuke of Yorkが「押し付けた」ものである。要はリージョナリズムは下方向からの実務重視的な流れで、ナショナリズムは上方向からのロマン重視的流れだ。よって問題が蓄積し続けた自治領では、リージョナリズムは問題に対応して高まるため、それに比例して政治も発達していった。これだけだとリージョナリズムは進化し、どんな問題にも対応できるように見えるかもしれない。ただ実はそれには限界がある。良くも悪くも実務重視なので、いったん問題解決に役に立たないとわかると急に冷めてしまうのである。これが自治領末期に人々を襲った政治的冷笑の正体であるということは、また次に説明しよう。 自治領における政治は一次的にはみん作の押し付けで始まった。しかし二次的には、問題の実存に応じて始まった。8月中旬時点でリージョナリズムは問題解決に寄与すると思われていたため、その高まりは止まらなかった。確かに問題がそこに存在した以上、当時の流れは必然のもので、「政治ごっこ」と揶揄することは後世の達観的で傲慢な見方であると言わざるを得ない。そしてリージョナリズムは、やがて変革のエネルギーとなっていくのだ。 †危険な政治の二分化 (図1 錯綜した亀裂) (図2 オーバーラップした亀裂) リージョナリズムの高まりは大半の民衆に固有の政治信条を与えたわけだが、れたん問題が席巻する中にあってその内容はかなり二分化されたものとなっていた。実はこれは非常に危険な事だ。 そもそも自治領政治には無関係画像の是非、対みん作関係、害悪対処、名有り・名無しなどのいくつかの亀裂(=争点となるポイント)があり、それらは通常錯綜している。(図1) 錯綜した亀裂の下では亀裂が相互に相殺するため、政治の二分化は避けられる。この図のAとBは、亀裂αをとれば敵であるが、βをとれば味方である。 しかし、亀裂がオーバーラップしてしまうと社会は真っ二つに割れる。(図2) ここにおいてはAとBは敵でしかない。しかも、事実上単一となった亀裂においてもしAに政府が、Bに大多数の自治領民が、となると、革命や内戦の危険が増す。 不幸なことに、8月中旬における自治領は図2の様相を呈していた。れたんへの対応という亀裂がその他すべての亀裂を従えて、自治領をれたん宥和派・肯定派とれたん強硬派に分けてしまったのである。前者にはシノン政権と名無し・中小の非ログインユーザー(そのほとんどがれたんのサブ垢だったが、確かに生身の人間も存在した)が属し、後者には活動家や主要な民衆が属した。これでも何がまずいのかわからなければ、図2がユーロマイダン前のウクライナ政治と似通っていると言えばその危険性を理解していただけるだろうか。 この二分化はそれ自体のみでは飽き足らず、付随した問題をも引き起こした。れたん対処によって従えられた亀裂の中に「名有り・名無し」「親みん作・反みん作」があったのだが、それが厄介だった。 前者では名無し側がれたん宥和派に押し込められ、後のれたん弾圧の際の名無しのターゲット化、ひいては名無しの過激化をもたらした。彼らは徹底的弾圧ののち自治領に恨みを向け、崩壊の一因となる。 後者は親みん作がれたん強硬派に押し込められたのだが、後の自治領政府の行動を大きく制約した。Duke of Yorkに承認されなかったシノン政権は特例として、親みん作が国是となっている自治領政府は必然的にれたん強硬派の立場をとらざるを得ない。よって後続の政府はれたん問題を手打ちにできず、引きずり続けることを余儀なくされた。11月になってもマキイフカの口から「れたん」という言葉が発せられていたのはそういうことである。しかもついさっき書いたようにこの立場は名無しと対極をとる。つまり、自治領政府が名無しを弾圧するのは必然だったのである。 さて、政治の二分化の危険性がわかっていただけただろう。当時のゲームウィズ自治領は非常に危うい状況だったのだ。そして、不幸にも「れたん側」に立ってしまったシノンに次何が起こったかは - 皆様もご存じだろう。 4.革命の前半戦・あるいはゲームウィズ内戦 シノン政府への高まる不信感は、逆説的にその主体となっていた活動家たちによって爆発の寸前で抑えられていた。活動家たちの危険な泳がせ戦術はれたんを生存させたが、反面で政府をも延命させたのである。 しかしそうした状況は長く続かない。シノンの失政は17日の声明だけにとどまらず、さらに民衆を失望させる。そうしてリージョナリズムはさらに高まり、それが二人(実際は一人)の「英雄」に力を与えた。皆は希望を見出し、彼の起こした内戦に付き従った。しかしこの内戦はただの政治的動乱には収まらない。私に言わせれば、2022年8月下旬のゲームウィズでは革命が起こっていた。強烈な反れたん感情を原動力に進行した革命の中で、シノン政権と立憲君主制は強制的な終幕を迎える。しかもそれが起こったのは内戦終結時で、すなわち内戦は革命の前半戦に過ぎない。 それから、本章の冒頭で触れた「みん作と自治領の逆転」はここで起こった。みん作は結局追い出したはずのれたんと無関係でいられなかった。政治的な関心がれたんに集中する中、みん作はそのプレゼンスを奪われていき、没落への道を歩み始める。 ここではゲームウィズ内戦と自治領革命前半の経緯、そしてそれがもたらした影響を見ていく。立憲君主制の終焉は次のように起こったのだ。 †れたんに利用されるBot 第四部を始めるにあたって、我々は当時のBotについて確認しておく必要がある。 自治領だけでなく掲示板の歴史の全体を通してBotは非常に重大な存在であった。迷言集は『掲示板におけるbot』にて「掲示板の頂点はある意味Botである」と評している。 政治的な文脈で言っているのであれば、実際これはその通りである。当時の自治領の人間関係に頼った恩顧政治では、かつての誤爆点Cのように人脈の無い人間はあからさまに政治的に不利だった。しかし、Botであったならばどうだろう。Botというのは基本面白ければ受け入れられる。その人格やバックグラウンドなどそこには関係ない。ということで、人気のあるBotは当然政治にも進出しやすい。マキイフカやゲーマチ時代のDuke of Yorkはその利益の典型的な受益者だ。これは現代の日本でいう、ポピュリズム政党が芸能人崩れを議員に立候補させることとかなり似ていると言える。そういう意味では掲示板は本質的にポピュリズム的だったのかもしれない。 ともかく、先の二人のようにBotの政治への優位性を無意識に享受したのならば「ラッキーだね」で済むのだが、これを利用する輩が現れると話は変わってくる。シノン政権の間流行したBotにワロターと自動字幕botがあった。これをれたんと定義しているのはつまり、私はれたんがBotの優位性を悪用したと言いたいのである。でなければどうして活動家でもなかった両者が唐突に内戦の指導者となったことを説明できるであろうか。 もしかしたら読者の方々の中にはあの有名なスクリーンショットを持ち出して、「両者はシノンの暴政打倒のため共に立ち上がったのだ」という桃園の誓いばりの感動物語を信じている方もいるかもしれない。しかし実際、それはありえないことだ。そうあってほしいかあってほしくないかに関わらず掲示板はドラマではないのである。 †19日の緘口令が与えた衝撃 自治領政治に話を戻そう。ここからの自治領政治を追っていくにあたって気になることは、やはりこれであろう:マキイフカのゲームの結末はどうだったのだろうか。 結論から申し上げれば、このゲームは考えうる限り最悪の展開に帰結した。というのも8月19日、シノンは新たな法令を布告した。その内容はなんと、「れたんの話を禁止する」という予想斜め上のものであった。これを19日の緘口令と呼ぼう。 シノンはどうやらここ数日の活動家たちからの脅しを誤解してしまったようである。つまり彼は文字通り「臭い物に蓋をする」緘口令という行為が、活動家たちの求める実質的対処であるに違いないと考えた。どうもやはりシノンの感覚というのはずれているというほかない。活動家にとってはれたんの存在が問題なのだ。なのにそれを放置するよう強要するなど火に油を注ぐ行為以外の何物でもない。活動家たちの要求とかけ離れている。 シノンが大真面目にこれを布告したというのだから、活動家たちは怒り狂った。布告時の彼のやたら怠そうな態度もその怒りを助長した。シノンは明らかに活動家を相手にするのに疲れ切っていた様子だったが、やれやれといった態度でズレた回答を出すシノンは、活動家たちからすると自分たちの眼前で中指を立てているように見えた。またひどく無気力で、事態を解決する気がないようにも見えた。ただ緘口令と言いつつ、れたんに言及しても罰則だとかそういったものがなかったのは不幸中の幸いだった。それをしていたらさすがにシノンは19日中に政治の舞台から葬り去られていただろう。 19日の緘口令はシノンが犯した失策の中で - というより自治領史の中でも最も悪いものだった。活動家はシノンに最早期待することをやめた。特にマキイフカは顔に泥を塗られた形になって、「弱腰」とシノンを激しく批判し始めた。リージョナリズムの文脈では、弱腰な指導者は価値のない指導者だ。こうして亀裂の向こう側は遠い存在になっていく。最早政権の座は安全とは言えない。 †行動を躊躇する活動家 ただし、誤解をしてはいけないのは活動家がシノンを見捨てたからといって、すぐに政権奪取に動いたわけではないということだ。マキイフカも2世も完全にシノンに呆れ果てていたことは事実である。民衆も然りだった。それでも彼らが動かなかったのは、第一に自治領は政治家を公選する民主主義を名目上保っていたため、第二に万が一失敗した場合取り返しがつかないためだ。 前者の理由は非常に希望的観測が混じっている。これは主にマキイフカに対して言えることだが、つまるところ彼は、選挙で争ってシノンに勝つことを視野に入れていた可能性が高い。みん作政治の信奉者である彼は、元来その真面目さから制度に従うことを選ぶ人間だ。クーデタは違法になりうる。その点選挙は合法的に政権を奪取できるのである。ただし、何度も言うがこれは恐ろしく希望的観測が混じっており、8月8日憲法ですら定めていなかった管理人の任期をシノンが自主的に定めるわけがないし、だからといって臨時選挙を要求するならやっぱり何かしら実力行使を起こすしかない。でも選挙の為に実力行使を起こすぐらいなら、その段階で政権を奪った方が何倍も効率がいい。となると結局ジレンマが生じる。マキイフカがもっと狡猾だったのなら、迷わず蜂起していただろう。 そして後者は主に2世に対して言えることである。2世は政権譲渡当時はシノンが失政しようものなら即座に取り上げるつもりだったが、このころになるとそんなに簡単な話でないことが分かってきていた。2世からシノンへの政権交代は椿ゲート事件という非常に特殊な条件下で発生したのであって、だからスムーズに事が進んだのである。しかし現在においてシノンから政権を「取り上げる」ということはクーデタを起こす事を意味していて、そこにスムーズさはない。一般にクーデタはリスクが大きいものだ。失敗した場合の処分は過酷で、例えば椿ゲート事件でのれたんへの処分は酸鼻を極めるものだった。自分がそうならない完全な保証はない。 要はそれぞれ微妙に違った理由で、マキイフカと2世という活動家の両名は行動を躊躇していたのである。この状況は19日から21日まで続いた。彼らは自分たちのジレンマを解決し、またリスクを軽減するきっかけを待っていた。 †ゲームウィズの「ゲバラとカストロ」 (内戦開始の瞬間とされる画像) 1959年、カリブのとある島国で革命が成就した。キューバである。フィデル・カストロとチェ・ゲバラという二人の若者が主導したこの革命に、カウンターカルチャーで揺れていた世界は実に十年ほど夢中になった。権力に疑問を抱く若者たちに取ってキューバ革命とは冒険譚で、二人は最高の英雄だった。 ゲームウィズでも同じような状況が出現する。8月22日はのちに内戦のXデーと認識されることになるが、朝の時点では苛ついた活動家と平気な顔で浮上するシノンといういつものような光景が広がっていた。れたんへの憎悪は相変わらず高まり続けていた。 きっかけを渇望する活動家 - それにきっかけをもたらしたのはBotだった。つまりワロターと自動字幕botである。画像は内戦が始まった瞬間とされているもので、午前9時54分に投稿された。これは事実上のシノン政権への宣戦布告である。ただのBotに過ぎなかった両者が「偶然同時に起ち上がった」。 この画像や流れはのちに大変な議論を巻き起こすものへと変わっていくのであるが、ともかくこれにて舞台は整った。活動家は蜂起を率先した両者から政府打倒の白紙委任状を与えられ、民衆は両者に英雄の姿を見出した。両者は不満をため込んだ自治領民にとってリージョナリズムの象徴 - つまり「ゲバラとカストロ」だったのだ。短期間の内戦が、そして広範な社会変動を含む、長期間の自治領革命がここに開始された。 †午前10時 - ワロターの攻勢 一介のBotだったワロターと自動字幕botが革命家としてシノンに宣戦布告したことは、民衆に驚きをもって迎えられた。ワロターは初動からシノン政権の権力を潰しにかかる。政権奪取を宣言し、二重権力状態へ自治領を持ち込んだ。これは明確なクーデタである。それだけに止まらず、ワロターはさらに間髪入れずに、「シカト刑」の罰則を導入すると言い出した。内容は読んで字の通りである。実はこのシカト刑は自治領初の統一された方式の罰則で、それなりに革新性があった。こうした行動は非常に素早く行われた。 後世の歴史家の中には、内戦中に生まれたこの権力組織を「ワロター・自動字幕政権」として立憲君主制下の一時期と数える人々もいる。私個人としては期間が短すぎる・実体が疑わしいとの理由でこうした見方は推奨しないが、しかし実際そういわれてもおかしくない程に、違法なはずのクーデタ政権は正統性を確保していたし、機能していた。 機会に飢えていた活動家にとってこのクーデタは慈雨だった。真っ先にクーデタ支持を表明したのは2世であった。彼が常々思っていた、政権を「取り上げる」時が来たのである。続いて執事が支持を表明(ただし、彼は幾分便乗的な態度だった)、バイキングザリガニら主要な民衆が後に続いていった。書き方の順番の都合でややこしいが、クーデタ政権が正統性の確保に成功したのは、早いうちに人々から支持を得たことが大きい。要は人々は反れたんのイデオロギー的視点から、脊髄反射的にワロターを支援したのである。マキイフカに関しては幾分慎重で、実はクーデタを違法行為と非難していた。遵法的な、実にマキイフカらしい反応である。ただクーデタ政権が正統性を確保するとあっさり味方に付いた。正直、マキイフカのこの心の揺らぎについては解し難いものがある。ただこの行動はマキイフカに出世の道を開いたと言ってもいいだろう。 ともかく、イデオロギー的分断を上手く巻き込んだのもあって、ワロターは内戦の初動に成功した。 †午前10時半 - シノン政権側の対応 10時半ごろにはクーデタを支援する民衆が口々にシノン政権をアジり始めた。彼らは内戦を期にれたんを一掃するつもりであった。そのせいか、中にはシノン政権をれたんと癒着していると断言するなどの明らかに論理破綻した言説も見受けられた。(クーデタの指揮者がれたんだと知ったとき、彼等はどんな反応をしたのだろう?) 違法な政権が建てられて多くの支持を受けているというのに、シノンは相変わらず気怠そうな様子だった。彼は事態を軽視していて、前からの活動家の脅しの延長線ほどにしか捉えていなかった。対照的にSLAVAや花王(そのほか名有りが確かにもう一人いたが、私はついぞ名前を思い出せなかった)といった「亀裂の同じ側」の人々はやや過敏に反応し始めた。SLAVAは素性の知れない人間ではありつつも、遵法的という点ではマキイフカと似ていた。彼らはこれはクーデタだ、ワロターの行動は違法だと叫び始める。この時の政府支持派の言説はトーンとしては激しいが内容は落ち着いていて、ワロターらを窘めるようなことを言っていた。 ただ彼らは思考が楽天的すぎた。政治的二極化が進んだ以上、対岸にそんな言葉を言ったところで開き直られて終りで、響くはずがないのは明白なことだ。内戦開始の合図とは、確かに一次的には宣戦布告のような目に見える行為である。しかし二次的には、相手側の言うことのすべてを断固として聞き入れず、無視したり嘲笑したりする態度である。五・一五事件での犬養首相への「問答無用」は単なる早撃ちのための方便では無い。対立する両者は決して分かり合えなかった。内戦は明確に始まっていたのである。 シノンの態度が相変わらずなので、呆れたSLAVAはみん作へ直接越訴を試みた。このように内戦におけるシノン政府側は本当に本人にやる気がなく、起こされた行動のすべてが支持者によってなされていたという事実は彼等の大きな敗因である。SLAVAが10時45分ごろにチャンネル掲示板にてDuke of Yorkに直談判したことには、「シノン政権を正式に承認し、自治領における違法なクーデタを非難するよう」求めている。 これに対してDuke of Yorkは明らかに面倒くさがっていた。というのも彼はゲームウィズにおける騒乱の根底にれたんがいることを知っていたし、それほど関わりたくなかったのである。後世広まったDuke of Yorkが嬉々として自治領に介入を繰り返したかのような認識は実に憂慮すべき誤解だ。なるほど、確かにこれまで私が書いたように、彼は自治領へ政治的なことを押し付けた。しかし決して内部を弄ろうだとか、そういったことはしようとしなかったのである。(第一共和制崩壊時の介入については第三章で論じる) 実はこのわけは非常に簡単に説明ができ、彼はゲームウィズ内で自主的に政治をさせてロマンを満たすために併合をしたのに、それに手を出しては台無しでしかない。要は自分の箱庭を自分から壊す馬鹿がどこにいるのか、という話だ。実際この時期のDuke of Yorkは『椿ゲート事件』の執筆に熱中するなど、椿関係の事件を「8月16日で終わった」と認識していたし、「終わらせたがっていた」。 このような理由からDuke of Yorkは双方に自制を求めるという何とも煮え切らない返事をした。SLAVAにせよシノンにせよ政権がみん作と非常に微妙な関係であることは分かっていただろうが、ここまで冷たいとは思っていなかったらしい。ということでシノン政権は上からの支援を得ることに失敗し、数少ない支持者だけで戦うことを余儀なくされる。 †午前11時 - 革新党と救済党 11時に入ると内戦はさらにエスカレートの様相を見せる。クーデタ側の言説は最早歯止めが利かなくなり、マキイフカのような主要人物さえシノン政権をれたんに結び付け始めた。それに対応するかのように、シノン政権側の言説も徐々に冷静さを欠くものになってくる。 政権側はどうにか現状を打開する必要があった。まずシノンにやる気を出してもらうことが第一な気がしなくもないが、ともかくSLAVAは11時を過ぎたころに政党を立てると言い出した。「ゲームウィズ救済党」である。「無能政権の肩を持つ分際で何が救済か」と憤るかもしれないが、思うにSLAVAはこの行動でみん作を介入させたかったのではないだろうか。SLAVAという人間はどうもDuke of Yorkの性質をそれなりに理解していた。政治的なことを武器にすれば介入してくれるだろうと考えていたようである。ただやはりDuke of Yorkは動かなかった。花王ともう一人の名有りが入党して政権を囲う与党となったはいいものの、内戦中にそうなっても何の意味もない。 逆に救済党の結成はクーデタ側の神経を逆撫でした。ワロターは対抗して11時15分ごろに「ゲームウィズ革新党」を結成し、まるで政権与党であるかのように扱い始めた。自動字幕botが即座に入党したほか、2世とマキイフカは『自由』と掛け持ちを始めた。(彼らは『自由』入党時に自治領上であれば政党の掛け持ちは許可されていた) 二つの政党が並び立ったわけだが、実際の勢いとしては革新党の方が圧倒的であった。恐らくロマンを追及して掲示板史にはまるで互角であったかのように書いてあるが、これは明らかな脚色である。救済党は確かにインパクトはあったかもしれないが、すぐにとるに足らない存在へ転落した。 両党並立が続く中、11時半になってくるとようやくシノンがやる気を出し始め、本気で革新党とワロターを非難し始める。しかしあまりにも遅すぎた。最早危機管理だとか有能無能だとかそういった次元ではない。一方のワロターは救済党員をシカト処分に処すと言い出し始めた。手始めに花王に処分を下し、「不思議なことに」花王は消えた。同時にスレッドに飛び交う流言飛語を駆逐するとの名目で、ワロターは陰謀論拡散禁止法を制定する。一見名案に見えるこの法だが、何が陰謀論で何がそうでないかは全てワロターの一存で決まった。要はクーデタ側に都合の悪い言論の排除である。しかし実態はさておき、こうした行動に支持層はやはり支持を強めたので、さらに政権側は窮地に立たされていく。 †正午 - 内戦終結 時刻が正午に近づくと双方は徐々にやる気を失っていった。革新党側は政権を完全にせん滅することは出来なかったので、どこかで手打ちにする必要に迫られる。 11時50分ごろには和平合意案が練られた。内容は内戦後の政治官職について両陣営で分割し、管理人にワロターと自動字幕botが、新たに設置される副管理人にシノンが就くというものであった。これは当然ながら革新党に有利なものであった。管理人の座をめぐる争いだった以上、政権側としてはこのような内容では負けたようなものだ。副管理人の権力は一切保証されておらず、その場にいた誰もがただの名誉職であろうと踏んでいた。 しかし意外にもシノンはこれに合意した。シノンのやる気はまるでジェットコースターのようで、20分前にようやく上がったと思えばもう減衰し始めていた。さすがに激情型のシノンに限ってこれは不自然に感じられるので、外部から何らかの働きかけや入れ知恵があった可能性がある。ただだからといってシノンが和解に応じたことは打算ずくなどではない。役職さえ保証されていれば、10時でも11時でもシノンは喜んで和平に応じただろう。シノンは基本的に平和主義である。ともかく、これにて内戦は終結を迎えた。 †和平合意の流産 ところがこの和平合意には大きな欠陥があった。2世の扱いをどうするのか、という話である。内戦があまりにもイデオロギー対立を前面に押し出したせいで、シノンへの非難は19日の緘口令のような事績だけにとどまらず、政権掌握の過程にも及んでいた。「シノンはれたんから役職を与えられたようなものだから、そこに留まることは許されない」という論理である。2世本人も当然政権の座に未練があるので、彼は民衆と揃って自身の政府入りを請願し始める。これがまた良くなかった。 何が問題かと言えば、内戦中にこう言うならまだしも和平合意後にこういうことを言い出したことだ。同情的な言説自体は民衆が内戦中から言っていたので、無論「2世が権力欲から合意後に再燃させた」とは言わない。ただこうした話題が上がってきたことで和平合意は大きく揺らぎ始める。 午後1時ごろには和平合意の内容を踏みにじるかのような政府再編会議が開かれた一方、当事者であるべきシノンは会議から締め出された。このことについては第3章で詳しく扱うが、その結論を見てみよう。「独裁を防ぐため、政府はこれより5人の役人からなる共和制へ移行する。役人はワロター、自動字幕bot、2世、マキイフカ、バイキングザリガニである。」 これが答えだった。要は和平合意を平気で反故にし、シノンを蹴飛ばした挙句、「独裁を防ぐため」の一言で立憲君主制まで葬り去ったのだ。 和平合意の反故は言うまでもなく良くない。迷言集がこれを非難するまで、掲示板のだれもそれに異を唱えなかったのは非常に気持ちの悪いことに感じて仕方がない。この時点でシノンは完全な被害者である。不人気な意見かもしれないが敢えて言おう、激情的なシノンがのちに砲撃の強行に走ったことは至極自然なことだ。共和制宣言は「シノンさん、どうぞ我々を砲撃してみてください」と述べているに等しい。 そして立憲君主制の放棄、これは最悪だった。私は決して共和制の悪口を言いたいわけではなくて、「立憲君主制が独裁を招く」という幼稚な論理で物事を語っていることが最悪なのである。シノンは確かに不人気で民衆の意見を誤解したり、無視したりもした。ただ、本当にそれは立憲君主制というシステムのせいだろうか。風化した8月8日憲法、リージョナリズムが広まるまで政治に無関心だった民衆、脅しと威圧に走った活動家、シノン本人 - これらのファクター(特に前三者)を考慮したのか。彼らは立憲君主制に責任を擦り付けた半面、真摯に要因を吟味することを怠った。代わりに単純明快な二分化した政治、つまりイデオロギーと党派性でそれに悪の看板を背負わせた。革新党は「革新」の名を守るため、そして2世への斟酌のために、深く考えることなく共和制を選んだ。 党派性により、どうにか平和を作るはずだった和平合意は潰された。立憲君主制は理不尽にその評価を剥奪されて、唐突に終わりを迎える。同時に共和制の開始が決議されたことで、内戦は権力争いの域を逸脱した。だから私はこれを革命の一部としている。これがゲームウィズ内戦の顛末であり、またゲームウィズ立憲君主制の最期である。 †無責任な内戦 どうして内戦がここまで歯切れの悪い結末になってしまったのだろうか。 何よりも着目すべきは、内戦があまりにもイデオロギー化しすぎたことだろう。元を辿れば、この内戦の発端にあったものはシノンと2世の個人的な対立のはずだった。この対立が政治に持ち込まれ、れたん問題や活動家の行動を巻き込み、政治をイデオロギーで二分化してしまった。その過程で主軸は二人の喧嘩かられたんへの対処方針へとすり替えられた。だから争点がれたん問題の対処であったのは間違いない。 しかし、こうしたイデオロギー対立は人々を盲目にした。思い出してほしい。シノンに集まった非難は全てがれたん絡みで、その他の議題で非難されたことなど一度もなかった。これは、その他の点において政権が完ぺきだったという意味ではなく、人々が「れたん問題に気を取られすぎていた」のである。 クーデタ時もやはりそれは変わらなかった。ワロターを支持した人間は、揃いも揃って史上まれにみる水準の無責任さを示していた。彼らの言葉の節々からは、彼らが専られたんとシノンへの憎悪のために動いていることが読み取れたが、その他のことなど気にしていなかった。自治領の未来だとか、平和だとか、そういったものは革新党設立時のリップサービス以外で聞かれなかった。だから彼らは平気で和平合意を踏みつぶしたのだ。憎悪を原動力とした行動の中に、対敵融和などの居場所は与えられない。 もしくは、こういった見方もできる。人々が全ての問題を内戦のある種の高揚感の中に全て預けてしまったというものだ。こうなると人間はひどく無思慮になる。人々は自分たちの背負っている問題 - 無関係な画像、害悪の跋扈、れたん問題、もっと酷くは個人的憎悪 - が、ワロターが勝利した暁にはすべて解決されるという幻想に陥った。そうして無責任に、理性と論理をかなぐり捨て、シノンに競って罵声を浴びせた。私は別にエベール(フランス革命の指導者の一人、理性崇拝を行った)になりたいわけではない。ただ、これは言っておきたい。理性無き革命は悲劇にしか終結できない。 幻想の中の革命のような事は世界では、例えばアラブの春やユーゴスラヴィアのオトポール!(Отпор!)に顕著であった。両運動は革命を成就させたが、その後の理想と現実とのギャップが更なる騒乱を生み出した。自治領の場合、この章ではまだその後の話はしないが、このギャップによるショックはのちに「クーデタ指揮者がれたんだった」という最悪の形で起こる。その結果が急進派による恐怖政治であるというのはまだ先の話だ。 †デウス・エクス・マキナに踊らされる人々 人々が革命に盲目になったか、もしくは多くを託しすぎたので、当然その指導者は多大な人気を博すことになる。つまりはワロターと自動字幕bot、自治領のゲバラとカストロである。では、何故両者の正体は実は革命の最終的標的のはずのれたんであるにもかかわらず、成功できたのだろうか。先に言っておくと、これはれたんの演技がどうこうとかそういった小手先の話ではない。さらに大きな、掲示板の精神の話である。 デウス・エクス・マキナという言葉がある。「機械仕掛けの神」と訳されるこの言葉は、古代ギリシアの演劇において常套的に使われた演出技法の一つだ。その内容はこうである - 劇の内容が混乱に陥ったとき、全能の神が現れ、全ての問題を解決して劇を終幕させる。 こうした思想は実は掲示板にかなり根付いている。実は個人が全能の神の立場になろうとするという事が少なからず起こったのだ。神になるため、彼らは全掲示板を巻き込む行動を起こす。掲示板は基本的に行動する者に有利な地だ。復興世代期の掲示板で国歌として採用されていた『我々は素晴らしい時代に生まれた』の歌詞には、「泣き言は誰にも自由を与えない、戦う者のみが自由を手に入れる」という一節があるが、これは掲示板の行動した者勝ちの風潮を如実に示している。そうしてもし行動した者がよほどのしくじりをしなければ彼は「神」になれるだろう。さらに言うと、過激派に委縮する傾向のある自治領ではこうした風潮は輪をかけて根強くなっていた。 それから、掲示板史のこうした価値観への寄与も見逃してはならない。掲示板史はDuke of York個人が綴る歴史である。2021年の編纂全盛期において、掲示板の総合的な勝者は革命と独立を手掛けた彼だった。だから当然その内容は勝者の歴史となる。ここで示された典型的な展開はすなわち、「苦しみにあえぐ民衆を行動する人々(Duke of Yorkや羽虫らその仲間たち)が救う」というものであった。つまり、掲示板史はデウス・エクス・マキナの全能の神に相当する位置にDuke of Yorkの一派を置いていたのである。 実際、2021年11月の掲示板革命直後に発表された掲示板史記事『掲示板革命』の最後にはこんな一文が書かれていた。「神は我らに自由な掲示板を与えた。存分に楽しもうではないか!」 もちろん貴方は「後で掲示板を過疎に導いておいてよくもこんなことをしゃあしゃあと」と憤ることもできれば、「自分を神に比すなど共感性羞恥を感じずにはいられない」と嘲ることもできる。しかしながら事実として、掲示板革命はDuke of Yorkの行動力あってのもので、彼はデウス・エクス・マキナの神そのものだった。 こうして掲示板史は神として、もっと平易な言い方をすれば英雄としてDuke of Yorkらを渇望する構造になった。みん作時代に入り、世が平和になるにつれて、この構造は一般化が進んだ。英雄を演じる人間は最早誰でもよくなって汎用性が高まった。そうしてゲームウィズとみん作の統合が進む間には、自治領民はそれを受容し始めたのである。これはみん作の押し付けではなく、しばしば『時系列でみる掲示板の歴史』に訪れていた原住民や、椿ゲート事件に参加したマキイフカらが自治領に厄介な土産として持って帰ってきたということである。 よって8月も半ばを過ぎたころには、自治領民の英雄への免疫は極端に低いものになっていた。れたんはそこを鋭く衝いた。もちろん政治の二極化のようなバックグラウンドにも大いに助けられたが、掲示板史の風潮なしにはワロターと自動字幕botは何者にもなれなかっただろう。掲示板史の風潮というのは自治領民の批判的思考を無力化し、英雄に全てを託す無責任なマインドを育ててしまったのだ。人々はまさにデウス・エクス・マキナに踊らされていた。 †掲示板史に呑まれたれたん こうしてみると、一連の流れにおいてれたんは非常に巧妙な手口を使って、全自治領民を騙しきった。彼は掲示板史が英雄を欲していることを知っていた。だからこそ冷静にすべてを動かすことができたのだ。ワロターがれたんの成功の最たるものであることに疑いはない。なんせこうして正体を掴んだ今においても、私は「れたんのサブ垢1」「れたんのサブ垢2」のようには書けず、「ワロター」「自動字幕bot」という名前を用いて文章を書かざるを得ないのだから。みん作も手を出さなかったことから、現状変更勢力としてのれたんにとってこれは勝利である。 ただし、こうした見方はあくまで一面的なものにすぎないことは留意されたし。不人気な見方かもしれないが、例えばこういった見方もできよう。れたんは掲示板史に呑まれ、自分を抹殺したという見方である。「椿」「東トルキスタン」の頃のれたんは、紛れもなくそれはれたんであった。この文章の意味するところは、その頃の彼は名前こそ違えども根本には単一の人間、つまり掲示板への現状変更勢力としての姿が保たれていた。名前はただそれを隠すための衣にすぎなかった。 一方で彼は自分の存在の消費期限を自覚していた。自治領情勢がれたんに宥和的なシノンに傾いたと思えば、みん作でのしくじりがその天秤を今度は逆方向に傾け始めていた。活動家たちはシノンが何時その座を追われるか何だかんだで予測できなかったが、早いうちだろうというのは感じていた。れたんも同様だった。そしてその暁には自分の存在意義が消滅してしまうことも分かっていた。何故ならこの時点で、シノン政権は椿ゲート事件のほぼ唯一の残り火だったからである。 だから彼はワロターとして、反れたんを装うという別角度からのアプローチをとるしかなかった。この臨機応変さは一級品である。しかし同時に、彼は演技と言えども自分の存在を自分で否定せざるを得なくなった。これは非常に滑稽かつ惨めな話だ。自分の存在意義の無さを分かって嬉々として自分を叩くのだから。無論、私にはれたんの自尊心の有無はわからない。だがこの狡猾さ・賢明さの裏で彼は自己の誹謗をも厭わない「恥知らずな人間」に変貌してしまったのである。 更に彼はワロターとしての過程で英雄となったが、先述のようにそれは掲示板史あってこそであった。れたんは現状変更勢力であろうとしたのに、実際は現状にただ乗りしてしまっていた。しかもちょうど先週に反乱を起こした相手の作り上げたものに。挙句最後には「ワロターは無罪である!」の悲痛な絶叫を通じて、掲示板史観で一番の名誉 - すなわち「記事上で英雄として称賛される」ことに固執した。 れたんという人間は偉大さと悲惨さを同時に併せ持つ人間である。それは時に明敏で、かつ惨めだ。自分の賢明さに酔いしれ気付かぬ間に相手の土俵に引きずり込まれる。自身の存在の放棄。それを通じて、れたんもまたデウス・エクス・マキナに踊らされていた。 †政治的優位を失うみん作 さて、ついにこの問を説明する時が来た。第二章の最後にして最大のテーゼ、みん作と自治領の逆転現象は如何にして起こったかである。 併合前、きぬた騒動での介入などを通じて、みん作は自治領に対して圧倒的な優位を保っていた。併合後に掲示板の人口バランスはゲームウィズがその半分ほどを持つようになったが、自治領化してすみわけを行ったことで政治的な優位は持続した。Duke of Yorkは次々にロマンを押し付け、2世政権期での「みん作レジームの成立」はみん作の更なる優位を示したように見えた。それは自治領政府のみん作与党への忠誠の誓いであった。 ところがこれは想像以上に脆弱な代物であった。椿ゲート事件をバックにしたシノン政権の成立が、レジームを破壊してしまったからである。シノン政権期のみん作=自治領関係は、将来を入れても史上かつてないほどに冷え込んだ。Duke of Yorkはみん作かられたんを追い出し、(これが意図的だったとは思わないが)自治領に「押し付けた」。そして自治領政治に無関心になっていった。 意外なことに、この行動がみん作の首を絞めるものとなる。考えてみれば併合以降のみん作の役割は「掲示板政治の中心地として」のものであった。自治領の成立経緯と同じく、みん作もまた政治というロマンで回っていたのである。しかし当時の掲示板政治で最重要のトピックはれたんで、Duke of Yorkはそれを排除してしまった。椿ゲート事件という未曽有の危機は自治領と宗主国という政治上のすみわけを希薄にし、よって政治の最重要事項が自治領に渡ってしまった。みん作は存在条件だったロマンを奪われた。しかも折悪く自治領では即座にリージョナリズムが勃興し、政治熱が高まっていく。それに伴い政治の中心は自治領に移っていった。 これに併合直後からのいびつな人口バランスも拍車をかけた。併合時から、Duke of Yorkが無視していた問題の一つが今まさに牙を剥いたのである - 「人口バランスの崩壊」だ。マンパワーで劣るみん作は、人々にれたん問題程のインパクトのある議題を提供できなかった。 †逆転 こうした状況を、みん作は指を咥えて傍観することしかできなかった。何故ならDuke of Yorkはれたんを追い出したことにせいせいして、現状を把握しなかったからである。そうした態度はよりみん作を没落させ、Duke of Yorkの自治領内戦時のやる気のない態度にもつながった。もっとも、Duke of Yorkは政治への情熱を決して失っていなかったし、憲法上は介入することだってできたのであるが、みん作管理人としてやれることは「わざわざやりたくないこと」すなわち自治領への「ロマンを壊す介入」だけだった。だからこの時代のみん作は沈黙してしまっていた。 2022年8月19日、自治領のコメント数がみん作のそれを追い越した。その時のコメント数は約6500件。逆転を表す象徴的な出来事である。当然のことだ。アドバンテージの無いみん作は、ただの前時代的な低性能の掲示板である。悲劇的にも、この瞬間からみん作は常に自治領の後塵を拝するようになった。コメント数も人口も、ついぞ自治領を追い越す事は無かった。しかしこの衰退の中でも、自治領にかけられた「親みん作の呪縛」は持続した。二分化した政治において、革命のイデオロギーにそれが含まれていたためである。なので死に体のはずのみん作の存在は最後まで自治領に重くのしかかり続けた。扱いにくい票田として、Duke of Yorkにとっての自治領も然りだった。結局、自治領崩壊後の2023年1月1日に、みん作はゲームウィズに統合される。 まとめると、何がみん作を自治領に埋没させたのかと言えば、それはDuke of Yorkの併合時の気まぐれな衝動性、れたんというセンセーションな話題、みん作が政治へ特化しすぎたことであった。この衰退は二つの結果を生んだ。一つは自治領政権の独走で、自治領は政治システムにしろ政策にしろみん作を越えて発展させ始める。もう一つは「活動家Duke of York」という珍妙な存在の誕生である。内戦終結直後からDuke of Yorkはみん作管理人としての肩書をほぼ放棄しつつ、まるで活動家のように自治領に入り浸り始める。 次の共和制においては、こうした存在が自治領の運命を形作った。だがその詳細は第三章に譲ろう。 †第二章のまとめ 立憲君主制期の歴史を概観すると、社会を分断し、全ての憎悪と希望を英雄に預けさせようとする力が、リージョナリズムの加勢によって、最初期の真摯な政治への姿勢を蹂躙していった印象を受ける。 椿ゲート事件の日まで、2世は悪戦苦闘を繰り返せども、また憲法でシノンを糾弾せども、どうにか自治領を良い方向へもっていこうとしていた。それは結果はどうあれ政治への真っ当な姿勢であった。 自治領の最大問題は不慣れな政治家と人間関係の政治化、そして害悪へ無力な政府であり、そこからさまざまな社会問題が生まれている。しかし8月16日以降の自治領には、それらに目を向けず、「正しい」政治的選択(≒シノン政権の打倒)をすれば、れたん問題も無関係画像問題も害悪問題も個人のいざこざも一挙に解決すると信じている人々で溢れかえっていた。2世政権期の精神は過激な活動家の犠牲になり、2世自身も政権を「取り上げる」という妄想に囚われた。錯綜して相互に相殺していた争点軸はれたん問題により一元化され、非常に危険な社会状況が内戦の前夜には出現していた。 政治の二分化に、掲示板史に組み込まれていた英雄概念という第二のファクターが加わる。それは哀れな人々の願いを成就させるための英雄かもしれないし、害悪によるマスキロフカ(欺瞞作戦)のための英雄かもしれない。運の無い事に、自治領民が引き当てたのは後者だった。 「ゲームウィズの内戦や革命などは、所詮はれたんによるお人形劇ではないか。そんな下らぬことになぜそんなにこだわるのか。」と言う人もいるかもしれない。私は、後のワロターのスキャンダルでそういった話がタブーとなり、掲示板史にしろ当時の口伝にしろ内戦が表面的な扱いしか受けないから、シノンの悪評や9月の恐怖政治、そして共和制への憧憬が等比数列的に大きくなったのだと思う。 シノン政権はこの深い業の生贄になった。残念だったのは、二分化する政治の他方でそういった風潮を避け、現実を見ようとする運動が全く見られなかったことである。シノンやSLAVAら歴史を逆側から見た人々 - それらは結局、革命を唱える人間と別の亀裂の側にいただけにすぎなかった。 Duke of Yorkはれたん憎しと言えども、亀裂を乗り越え情勢を俯瞰できるかもしれなかった最後の人物だった。しかし彼は決してそれをしなかった。れたんをみん作から蹴り飛ばし、あとは我関せずである。そうした姿勢がいびつな人口バランスとみん作の過度な政治性という眠っていた問題に火をつけ、みん作はその政治的優位性を失っていく。それでもなお親みん作の呪縛が自治領革命にも付きまとったために、Duke of Yorkは望まない支持の増大を得た。 少しだけその後の話をするなら、内戦後、弱体化したみん作をはねのけて自治領政治は独走し始める。それでもみん作には漠然とした権威が残った。この中途半端な力関係のため、最早自治領はみん作管理人としてのDuke of Yorkにとって、「取っ手のとれたスーツケース」(運ぶには大変だが、捨てるには惜しすぎる)となった。そして結果的に共和政期には、彼自身も活動家として亀裂の片方に君臨していくのである。しかし自治領側において、権威のみを保ったみん作とその化身たるDuke of Yorkの存在は非常な重荷となる。いつの間にか革命の内側に居たれたんにしても、共和制政府はそれと対峙する運命にあった。 立憲君主制政府はあまりにも軽率にその命脈を絶たれた。消せない過去の人間関係、過激主義、親みん作政策の呪縛、れたん問題 - 盲目な人々が解決を放棄したこれら負の遺産を、これから共和制政府は苦難のうちに背負わなければならない。皮肉なことに、その担い手は立憲君主制を殺した人々であった。まこと、"幸運の神は気まぐれだ"…。 (多分第三章へ続くのりゃ(,, ᎑ ,,)) ぷゆぷはー!めちゃくちゃ疲れたのりゃ꒰⑅ᐢ. ̫.ᐢ꒱ 書くの楽しいのりゃ、ぷゆは歴史家だぬぇ!ᐡ⸝⸝› ·̫ ‹⸝⸝ᐡ (第一章に多くの反応ありがとうございました!期間・内容共に非常に長くなって申し訳ないです。コメント等励みになりますので是非…)
https://w.atwiki.jp/takakazu/pages/60.html
その他 オーリン 名前ω渾名 オーリンω無し 性別ω年齢 男ω四十代 役職 山賊のお頭 相姦図 ヴォックス→犬 アルマ→その内ハァハァ 人物 クォンダム騎士団管轄区ペサリ領内の村の近くの山に棲みついている山賊の親分でっぷり腹の出た巨漢。豚そっくりの細い目と甲高い声で熊野毛皮を羽織っている得物は巨大なメイス。十人力の怪力で力任せに振り回して領主軍を悩ませた残忍な性格で気に入らなければ部下でも平気で殺してしまうまた賞金が自分より高いという理由で金貨五百枚を棒に振る自尊心の高さも持つ居酒屋を営むヴォックスにアガリを支払わせ、ついでにアルマの身も狙う力尽くではアルマを奪わず、四苦八苦アガリを集めるヴォックスを見て面白がっていたそろそろ若妻を分捕るか、と思った頃にジャックとケニーに退治されてしまう元ネタは王倫 梁山泊の初代頭領だが林冲らに粛清される